今宵も月が綺麗ですね

なぜ、月は輝くのか。そして、偶像に生身のわたしが「アイラブユー」と思うことについて。

鋭い目と、広い視野と、繊細な心と、毒 舞台「アマデウス」感想

「パパ~、だっこして」

と言いながらモーツァルトが残り少なくなった生命力を本人自身も忘れてサリエーリに近づいていく…。


その時、泣くとはまた別の、なんだろう、うわぁぁぁっていうまだ名前が付ききっていない感情が目と口とか耳とか顔のいろんな穴から吹き出ててくるのを感じました。

 

 

「ぽっちゃり」なんて自分で言っている照史くん
(ちなみに豚足ピースは直後にかます「その手離さんからな」の最強のフリだと思っています)
のしっかり大人な身体の形がそこにあるはずなのに、
私の目の映る彼はなんだか小さく、軽く見えて、赤ちゃんのようでした。

そして、その赤ちゃんのような桐山くんは、まだ覚えたてで口に出したての「パパ」という単語と「だっこ」という単語を、その2つの単語の間に思惑や思索等なにも存在していないまっすぐさで組み合わせ、発音しているようにも見えました。

 

その瞬間、モーツァルトを演じている桐山照史くんは、会場の空気をすべて真っ白に染めるほど、無垢、そう無垢すぎる存在でした。

 

 


妻のコンスタンツェとふざけている時(演じているとはいえアイドルの口から「勃つ」の言葉を聞けるとは、うふふふふ)侍従長や長官の前で失礼な発言をする時(むやみやたらな権威にたてつく男はいつだっていいですよね、うふふふふ)など、モーツァルトは常に軽薄で行儀が悪く傍若無人でした。

でも、妻が別の男と過ぎた雰囲気でぶざけていれば相手に帰宅を促すし、皇帝へのキスはどの他の権力者より丁寧。そんなシーンを見かけるにつれ、モーツァルトは軽薄さや行儀の悪さや傍若無人さをそれなりに(本人は無自覚かもしれませんが)自身でコントロールしているところも感じられました。


アイドル誌「ポポロ」で連載されているジャニーズWESTひとりひとりがこれまでの軌跡とこれからの歩みを語る「ジャニーズWEST 7色のシルエット」。
ここで桐山くんは

 

―こうせなあかんって決めてかかると、苦しくなってしまうから、いい意味で肩の力を抜いて何事も楽しみながらやっていけたらいいなと思う。

 

などと各所で本音をのぞかせたあと

 

―正直、これを読んで俺のことをなんやコイツと思った人もいるかもしれへん。

 

―全員に好きになってもらおうなんて、おこがましいことは思わへんから、嫌いやったら嫌いでもしゃあない。でも、あわよくば好きになってくれたらありがたいなって思う。

と語りました。

 

なんて、ものを見る力があり、かつその見えたものを調整している人なんだ…と私はこれを読んで思いました。

 

 

私はアイドルではないので味わったことはないですが、きっと何万人の好きの視線はきっと強い。
コンサートで目に映る人々の熱視線や熱うちわやSNSの海を漂っている熱言葉もきっと強い。

なので、きっと、そこだけ見ようと思えば自分の目の容量をそれで満杯にすることだってできる。
だけど、桐山くんはその鋭い目で、広い視野で、そして繊細な心で、好きと叫ぶ人たちのうしろにいる嫌いの人や嫌いの空気をきちんと捉えていた、ゆえの発言なのだと思います。

 

しかし、彼はそれでも豚足ピースからの「その手離さんからな」をして女の子の“きゃあ”を生み出すため「キザ」なんて言われかねないジャニーズアイドルを全うしてくれるし、街ロケでは「おとうさーん、お忙しいところすみません~」と自分のことどう思っているかわかならい相手の懐に入る。

 

その様子は、まるでコンスタンツェとふざけるモーツァルト、皇帝に丁寧にキスをモーツァルトのよう、そう私は思いました。


決して100パーセントの義務や演技で成り立っているわけではない、モーツァルトにはそういうところがあるんだけれど、ここでの役割をやってもいる人。


そんなモーツァルトと同じ要素を持ち合わせている気がする桐山くんが「パパ~だっこ~」と叫んだ時、桐山くんの奥底にもまわりの見ず、目の前の欲しいものだけを見ている瞬間が、私たちには見せないけれどきっときっとあるからこそ、こんなにこのシーンで真っ白になれるんだろうなと思い、私はうわぁぁとなったのだと思いました。

 

 

そして、モーツァルトを蝕んだ「毒」=サリエーリの嫉妬。
これもアイドルが好きな私には非常に覚えのある感情でした。

 

サリエーリは音楽を通じて神を称えるべく、自らの一生を捧げると誓いを立てました。
しかし、モーツァルトの神から与えられた(とサリエーリは思った)才能を前に

「なぜ、神はモーツァルトをお選びになられたのか」

とその不平等さを嘆き、次第にそれは深い嫉妬(毒)へと変わっていきました。

 

私は、ジャニーズWESTが好きで多くの時間とある程度のお金を使いました。
うちわも不器用ながら時間をかけてつくりました。
そしてある日、スタンド最前列のチケットを手に入れました(正規)。
うちわを持ちながら、濵田くんをじっと見つめました(声は出せない、好きすぎて、あと濵田君がかっこよすぎて)
声を出せてないくせに、ずうずうしくもこう思いました。


「1列目だし、うちわもっているし、もしかしたらファンサもらえるかも」

 

しかし、濵田君の目線は私のウチワには注がれませんでした。
その時の私は

「こっち見てくんなかったなー」

と思いました。


これが毒です。

 

 

ジャニーズWESTにかけた時間もお金も、うちわの労力も、自分がそうありたいと思ってのぞんだことだったのに、自分がそこに力をかけていた自分が浮かばれるかもしれないと期待した瞬間に私は不平等を嘆いたのです。
その日は、いつもよりコンサートの細部が頭に入っておらず、感想ツイートも少なめでした。
(“お値段以上真鳥”こと林真鳥くんが濵田うちわだったのに気にせず、ずっきゅんファンさしてくれたことはまた別の機会に)

 

それとこれ、一緒かよ?の声はあえて一蹴します(ご容赦)

 

サリエーリ、、、、

あんたの気持ちわかる!!!!

 


でも、モーツァルト(私でいうと濵田君)、なんも悪くないんだわ!!!!

 


勝手に「与えられるべき」と思ったこっちの問題なんだわ!!!!

 


で、それでモーツァルトを毒で殺すのはエゴの拡大そのもので、罪なんだわ!!!!

 

濵田君、一ミクロンも悪くないわ!!!!


なのに、こんなこと思ってごめん!!!!


あの日の私、濵田君に土下座――――――!


土下座見てないの承知で、土下座―――――――!

 

 


眼が鋭くて、視野が広くて、心が繊細な桐山君のアイドル人生に毒がなるべく届かないように、これから応援したいと思います。
(デジタルチケット導入も粛々と)


とにかく思考がめぐりにめぐる舞台をありがとうございました。


最後に…

アマデウス」のパンフでの稽古写真でなうぇすとTシャツ来てるとか……


自分の(ホームの存在)貫くその瞳 
私は超好きや 
まじであきとは最高や!
(これだけは文脈関係なく言いたかった)