今宵も月が綺麗ですね

なぜ、月は輝くのか。そして、偶像に生身のわたしが「アイラブユー」と思うことについて。

茶の間の私が亀梨和也ソロコンで誠実さに泣いた話 ~現実的でなくていい 君との運命描いていこう~

 

 

 少し前になりますが、東京国際フォーラムで開催された「KAT-TUN KAMENASHI KAZUYA CONCERT TOUR2017 The‐~Follow me~」を観にいきました。

 

私は、横山裕担→濱田崇裕担と関西系グループを主に追いかけている者です。

 

 

しかし、関ジャニ目当てに入った「You&J」という関ジャニ、NEWS、KAT-TUNのすべてのライブに申し込みが可能な赤いバー(=会員証だったよね?)を手にしていた私(当時20代前半)は時間とお金の自由を駆使してとりあえず申し込めるすべての公演に申し込みました。

(今思えば、超お得かつ、ジャニヲタを長引かせることになる行為。ほら、観たら観たでそれなりに担当じゃなくてもひゃあってなるし、勿論愛着生まれるじゃないですか)

 

 

そこで見たKAT-TUNのコンサートは他のグループに比べ非常にコンセプチュアルであり、「1582」で紅を情念でべロリとひき、宙を文と一緒に舞った亀梨くんを観て度肝抜かれたことをよく覚えています。

 

“コンセプトを纏うことがなんてうまいの?亀梨くんは!”と。

 

 

そして、恋に堕ちるというのとは別の「この人の努力と才能は、エンタメの世界報われるべき」というよくわからない思いを抱え、足しげく現場に通ったり、日々の情報を集めたりはしないものの、テレビに出れば視聴率が取れますようにと手を合わせるくらいはする亀梨くんの「茶の間」としてここ10年くらいを過ごしてきました。

 

 

そして、向かったソロコンサート。

 

登場した亀梨くんは、茶の間の私が思い描く亀梨和也でした。

 

シルエットだけで彼だとわかる演出されたフォルム。

 

圧倒的に光を吸収し、一度取り込んだ光を余すとこなく放射するような存在の仕方。

 

どのシーンをカメラで抜かれてもポストカードなら買います!な完璧なしぐさと表情。

 

後ろの席まで軌道がはっきり見える妖艶な腰ふり。

 

 

そして、彼は、舞台やコンサートでみせた演出を余すところなく行なったかと思えば、

普段の亀梨くんのような洋服に着替え「君」と観客に語り掛けたかと思えば、

TVドラマの主題歌を歌いあげたかと思えば、

真っ白な亀梨和也しかそこに反映されない衣装でポールに巻き付いたりベッドで腰をつきあげたりしたかと思えば、

三日月にのって空から地上に降りてきました。

 

 

茶の間でこんなこと言うのは恐縮ですが「1582」が彼と私の思い出です。「1582」であの時の同じように紅が情念でべロリとひかれたとき、それを観た日、まさにその瞬間をぐわあああと思い出しました。

 

 

亀梨君のファンをやっている人たちにとって、亀梨くんとの思い出はもっともっともっともっとあることでしょう。

「はじめて恋に堕ちた日のこと」

「チケットを持って、おしゃれをして亀梨君を観に行った春夏秋冬の日々」

「どうしても現場に行けなかった日のこと」

「TV前でTVの中の亀梨君を誇らしく思った日のこと」

 

 

いつからファンになったか、どんな環境でファンをしていたのかによって舞台が思い出の人もいれば、TVが思い出の人もいる。

そんなすべてのファンの「彼と私の思い出」に寄り添うことのできるこの構成(舞台の曲もやれば、TVの主題歌もやる)は、亀梨くんのアイドルとしての誠実さそのものだと思いました。

 

そして、神様のように思っているファン、永遠のリア恋だろ思っているファンなどすべてにニーズにこたえるシーン(象徴的な衣装もあれば、リアルめな衣装もあるし、月!!から降りてくるし)をつくっている構成にも、亀梨くんのアイドルとしての誠実さを感じました。

 

 

「私と彼の思い出」という本来大層な言い方が全然様(さま)になるし、様にさせてくれる亀梨くんの誠実さ…。

 

 

 

ここまででだいぶ「なんというコンサートを観ているのだ、私は……」と体幹から震えるかんじがあったのですが、ラストスパートのカラオケでのデュエットパートのような一緒に歌いましょうね♡演出に「やだ、ださかわ♡」とはじめは笑っていた私は『背中越しのチャンス』で泣くことになります。

 

 

亀と山P名義で発売された『背中越しのチャンス』。

野ブタ~を熱狂的に観ていた私は、“これはジャニーズエンターテインメントにお世話になっているすべての人間が買うべきシングル”と定義づけ、購入し、愛聴してきました。

20代をはしり、30代になった2人の「スキ」のポーズかわいい!

「何回でも恋をして何回でも愛していこう」という姿勢ってなかなかアラサーが諦めちゃうことだから、それをいろんなことがあったこの2人が推奨するって素敵なことよね……!

なんて思って聴いていました。

 

 

ところがどっこいどっこいどっこいしょ。

この曲をカラオケデュエットVerで聴いた瞬間、この曲が“アイドルと応援してきたファンの間の最高の関係性を表す曲”であることに気づいたのです。

 

 

 

 

100回の恋も君がいなくちゃ Un happy 気づいていたんだぜ

ふいに見せた笑顔 昔から一緒で

 

私の脳内)アイドルがアイドルをやっていく中で、ファンがいなくちゃUn happyって亀梨くん(主語、この際なので適宜亀梨君にしますけど、亀梨君=アイドルなのでいいですよね、うん、いいです)が自覚的に宣言してくれる&ずっと応援してきた存在(ファン)を受け止めてくれてる……。

 

 

 

いっそ僕ら 何回でも恋をして 何回でも愛していこう

ちゃんと言う 君に ちゃんと言う 

好きの二文字を この声で

 

何回でも更新しよう 最高の思い出を

 

私の脳内)オタクってそういう生活だよね。あー好き、あー好き、あー愛してるって何回でも更新して思うし、何回も口にするよ。それでオタクとしての日々は続いていく。それを僕も求めているし、僕もしていきたいって思っているように感じる、感じさせてくれる……。

 

 

 

 

現実的でなくていい 君との運命 描いていこう

僕らだけにみえる happiness

 

私の脳内) オタクしていると「え?でもさ、亀梨くんと結婚できるわけじゃないじゃん?そんなに時間とお金つかって」理論ぶつけられる時あるじゃん。でもさ、なぜにこの世は現実の社会的なシステム(結婚とか特に)に作用することばかりが価値があるとされるのか??? 宗教的な存在でアイドルがいて頑張れることも価値あるし、アイドルをみて幸福になったその瞬間に価値あるし、そういう他の人からは承認されにくいかもしれないことを、亀梨くんが“僕らだけにみえるhappiness”って肯定してくれるなら、それは絶対にここにあるし、私も全力で肯定してく……。(後の亀梨くんの現実じゃん発言もまさに僕らだけの現実の肯定で震えました)

 

 

 

Up&Down 右に 左に

決暖一つで Roll Rolling

でも いつだってこの人生 君がいれば It’s OK!!

 

私の脳内) アイドルという現実的な(さっきいった社会的なシステム的な)幸せを実現しにくい場所を我々の熱狂がさらに強めてしまっているのを自覚しながらも、つい止まらぬこちらの勝手な恋愛妄想、性格邪推という実情。苦しくなる気持ちもあるし、ご本人だってそんな本当は白黒つけれるテーマじゃないはずなのに「It’s OK」とな……覚悟ある人間の凛とした姿であり発言としか……。

 

 

こんなことを考えながら、私は泣いていました。

 

 

 

 

そして、ここをデュエットカラオケにしていることにも象徴されている気がしたのですが、こんなにエンターテインメントの才能にあふれている亀梨くんですが、

その才能を客席の視線というか、亀梨君を求める存在ありきで完成するようにセッティングしている。

そこがまた最高のエンターテイナー。

 

 

亀梨くんの担当の人が気を失っていないか、それだけが心配で泣きながら周りを見渡しましたが、動きが止まったり、泣きながらもみんなしっかり自分の足で立っていて、そこに亀梨君と亀梨担の「絆」を感じた気がしました。

 

 

亀梨くんの努力と才能が、エンタメの世界でこれからも報われ続けられますように。