小瀧望 真反対のパラレルとしてのMORSE
本日、WESTの小瀧くんが座長を務めた「MORSE」が千穐楽を迎えた。
「うちの末っ子が!」とメンバーも、そしてファンたちも、年齢関係なく母親のように見守りたい気持ちが座長公演があると発表された時には爆発していたが、舞台がはじまると【末っ子がかわいい】は公演後の挨拶に対して投げかけられ、感想の内容は、舞台上になにがあったのかということに関してばかりだった。
わたしも一度、グローブ座に足を運んだ。
その日から3週間ほど。
あの舞台を咀嚼して感じたことをつらつらと。
アイドルは「本当の自分」「ファンと作った自分の偶像」「作品で演じる役」の3つを操れる人が優れていると思っており、「ファンとつくった偶像」が一番操縦難しいけど、一番必要とされる時間長くて、それが「作品で演じる役」にどれだけ生かされるかっていうのが見物だとも思っている
— みずうみ (@numadeasobu) 2015, 12月 12
これは昨日、「ピンクとグレー」関連で菅田くんがJUMPの山田くんと中島に関して語った言葉を聞いて思たことであるが、この「本当の自分」、「ファンとつくった自分の偶像」が【愛されて育ってきた男の子、そこではぐくんだ輝きをふりまける子】として、かなり至近距離で運転しているのではないかと思わせるのが小瀧くんである。
実のお姉ちゃんの携帯には≪息子≫と登録され、家族でディズニーランドで遊び、「反抗期はなかった」と本人も言い切る。
その【愛されて育ってきた子、そこではぐくんだ輝きをふりまける子】小瀧くんと、「MORSE」で演じたオスカーはまさに真反対だった。
オスカーは、アルコール依存症の母親、同性愛者で自分の嗜好を優先するため家族から離れた父親、複雑な兄弟関係から鬱屈をいじめという形で表してしまうヨンニ、まっとうな弱さでいじめに加担してしまうミッケと、誰にもまっすぐに愛を与えてもらえない子供である。
青年なら、そこから逃げてしまえよ!ダッシュ!そこが君の全てじゃない!と10万円くらいポッケにねじこんでるだろう(たとえです)。
でもオスカーは愛のなさを感じるには十分だけれども、逃げる力はない12歳という絶妙な年齢だった。だから、そこでひたすら愛されていない自分を知り尽くすしかないオスカー。逃げろといいたいけれど、10万円じゃすまないし、保護者に通報されたらぐうの音もでない(たとえです)。
そのせいか、エリとの出会いと近づきによる日常の変化、先生との関係のはぐくみの中途半端での強制終了、逃げ場であった雑貨店の店主との関係悪化など、トランプのババばかりひいてしまうオスカー。
そこではぐぐんだ輝きがないから、ふりまくどころか、子供がもともと持っていそうなグッドラックをボタボタと放出してしまう。
あぁ、真反対。
小瀧望と真反対。
家族やメンバーに愛されて、グッドラックつかんでジャニーズWESTとして舞台に立つ小瀧くんと真反対。
私は、たぶん小瀧くんを観るためにチケットを買っていた。
上演されるのが、なんの題目でも郵便局に走ったはず。
なので、全く知らない人がオスカーを演じているのとは違う、小瀧くという造形を観ていることを強く意識して、味わってから、オスカーを観ていた。
ゆえに小瀧くんとオスカーという真反対が同じ肉体を共有している近距離でぎらぎらと反射しあっているのがまぶしかった。
お話のラスト、オスカーはエリと生きていくことを自分で選んで、街をでる。
ここで、はじめてオスカーは、「愛されないなら、愛す」ことを選択する。
ここまでババを引きまくっているオスカーの旅は決して希望に満ちていなかったけれど、【愛されて育ってきた男の子、そこではぐくんだ輝きをふりまける子】という至近距離の小瀧望が、オスカーの未来を少しだけ明るく照らしている気がした。
小瀧くんが体にため込んだ愛が、日常から離れているはずの舞台の上なのにオスカーを照らしてしまっていた。
これは小瀧望にしかだせない希望だった。
「LET THE RIGHT ONE IN(正しき者を入れよ)」
オスカーの中には正しき小瀧望が入っていた。
色々、切なさをかみしめる舞台ではあったけれど、3週間たつと残っているのはその希望だった。
あぁ、これがジャニーズの3次元がどうしても膨らんじゃう感想かとも思っている。
でも役はとは、その人の精神と肉体を通して生まれるものだと思っている。
あぁ、もっとみたい。
TVをみて、ラジオをきいて、雑誌を読んで、パズルをつなげるようにその人の精神と肉体を知りたいと思っている人がやる舞台の膨らみを。
小瀧君、初座長、おつかれさまでした!
自担の凶悪な姿を見ると胸がはずむのは、一体こりゃなぜなのか問題について
はじめまして。
読むばかりの毎日でしたが、これだけぐるぐる考えて、少し呟いて、ぐうすか眠って7割方どうしようもなく忘れてしまうのが(それは人間が生きていくためにとても大切なことではありますが)惜しくなり、ヨチヨチとアカウントをつくってみました。
32歳。紫ジャス民。会社員。みずうみです。
知ってますよーな顔してますけど、スクショが正直使いこなせていないほどのヨチヨチぶり。
画像やつぶやきの引用なんてできる気がしない。いまのところ。
だけど、動かずして得られるものなしということは、ここ10年のジャニヲタ人生で学んだことでもあるので、色々間違えたりもするかと思いますが、開いたまま席を立ってもいいノートという気分で書いていきたいと思います。
卒論ではない、あくまでノートであるという気持ちですゆえ、万年筆で書く日もあれば、そこらへんにあった銀行のボールペンでメモを書きなぐる日もあれば、酔っぱらって絵にもならない絵を描く日もあるかと思いますが、目に触れた方宜しくご自由にお願いいたします。
そもそも、この「自担が凶悪な姿を見ると胸がはずむのはなぜか」という問いは、自担である濵田崇裕さんの角刈りヘアーをタイムラインで拝んだときにこんな妄想を1秒でしたことからはじまりました。(い、い、引用にトライ…)
濱田さんのこの髪型からイマジン…
首筋から顔に這い上がる刺青しちゃってて、しかも、そこから足首まで全身そーなんだろ的な
死ぬのなんて恐れてないから、血がぼたついても手でぬぐうだけ、で、残忍な報復なんの躊躇いもなくできちゃう極悪役……
いいと思うひとー?
はーい(-o-)/!
— みずうみ (@numadeasobu) 2015, 11月 21
わたしは、濵田くんの「相手を否定しない受容力」を愛しています。
100パーセント飲み込んで受け止めているのか否か問題は別として、メンバーから「WESTに濵ちゃんがいてよかった」と言わしめるこの力は実在するものでしょう(だってメンバーが言うんだから、ね!)。
そして、濵田くんの「不満や辛さを表に出さない」も愛しています。
『育ジャニ』の大阪マラソを終えたラストシーン、立ち上がれないほど足が小鹿のようなのにカメラに向かって振り向いたところで号泣したクチです。
ということで濵田さんは、私の中では、芯から優しい人認定です。
演技をするときに役者さんがすることは
①脚本を読んでストーリー全体の流れとセリフを読解する
②読解したものに自分なりのイメージを付随させる
③イメージを身体で表現する
だと思います。
③の反射神経がいいというのにも胸ははずむのですが、これはまた別の機会に。
「自担が凶悪な姿を見ると胸がはずむのはなぜか」の答えは②の行為かかわるものではないかと思うのです。
私が妄想した”残忍な報復なんの躊躇いもなくできちゃう人”という役が、万が一濵田さんにきた場合、その残忍さをきっと濵田さんは想像します。
彼の直接的、間接的な経験から「残忍さがわからないほどの残忍さ」を想像します。
その内容は私たちには残念ながらわかならいのですが(悔しいぜ)、その出力したものを観ることができます、テレビや劇場で、ほお、濵田さんの残忍さとはこれですかと。
読んだり、使った言葉でないと文章にできないように、頭の中に入ったことのあるものでないと演技として出力ができない。
≪出力されたもの=濵田さんの隠れた残忍さ≫とはいいがたいけれど、≪出力さらたもの=濵田さんが残忍さだと思ったもの≫ではあるのではないか?
芯から優しい人のキャラクターである濵田さんは、ラジオでも、リトラの過酷バイトでも、粉モンクエストの旅でも、にこにこ、ええでええでの出力が多い。
濵田さんだけでなく、アイドルは比較的そのターンが多い。
歌って、踊って、笑顔でバキューン。クールな曲もいいけれど、クールは凶悪さではない。
だから凶悪な姿をみると、いつも見えない君の頭の中をのぞいた気分で胸がはずむのではなかろうか、と思うのです。
決して、我々は誰かに殺されたいわけではない。
はじめて知った愛する君を前に死んでもいいと思うだけだ。