今宵も月が綺麗ですね

なぜ、月は輝くのか。そして、偶像に生身のわたしが「アイラブユー」と思うことについて。

ジャニーズWESTよ、陽だまりになってくれ、私はファン弟組としてペンライトの光になる

 

なんば駅から阪神なんば線に乗り換えた時、とてもいい匂いがしました。
いろんな女の人のいろんな匂いが交じり合ったいい匂い。
まだ小学生かもしれない女の子、双子コーデの10代女子、慣れたテンションの20代女子、お母さんと娘さん。(私は朝5時に東京を出てきた女)
まだ朝9時半。女の人たちが家で、今から向かう場所のために丁寧にまとってきたおめかしの匂いは=恋の匂いで、こんなにジャニーズWESTは恋されているんだと思うと、もう胸がいっぱいでした。

 

 

7色に光る雪だるま、その仕様のランクアップっぷりにその重さすらが愛しい……(後日、その重さゆえ二の腕の筋肉をやられてしまう事はこの時はまだ知らない)。
会場に入ると、ステージを照らしているライトの光が7色に見える……(本当は5色くらいだったけど見た瞬間に記憶を安易に捻じ曲げました)。

 


2016年のジャニーズWESTは、もともと惹かれていた個々のチャーミングさ(特に自担の濵田崇裕の複雑さと単純さのシーソーゲーム……とわざわざ書いておこう)やグループ内の関係性のあり方(特にそのシーソーゲームをうまく乗りこなしてくるはまこた……ともわざわざ書いておこう)に加え、ああーこの子たちはもっと上に行くという確信をひとつひとつ強めさせてくれるのが最高に楽しかった。
なにもかものやり方を知らない0歳児が、周りを見ながら学習し、ついには自分の意思であっちゃこっちゃ動き出す1歳児になるみたいなグングンさ。
このドームはきっとその成長の集大成になる、そう思っていました。

 

 


死ぬほどかわいいサンタ姿と死ぬほど愛しいトナカイ姿を拝んだあとの、1曲目「ええじゃないか」。


幕がおりた時、私は「ぎゃあああ、本物!」と頭の半分で大興奮しつつ、もう半分で、それはそれは静かに、デビューが7人になったことが発表されたときのあのシルエットからの幕おりを思い出しました。
何百回と“映像で”見たあのシルエット。

 

 

…………………あの映像を見るたびに……。
悔しかったーーーーーーー(本音)。
あそこにいたかったーーーー(無理)。
だって、その時はまだジャニーズWESTのファンじゃなかったからーーーーー(現実)。

 

で、姑息にも「今回はこのコンサートに来れてよかった」と強く強く思いました。

 

 


でも、コンサートが進んでいくうちに、このコンサートに来れて本当に楽しくて、本当にうれしいけど、なんだろう、その悔しい気持ちが幾ばくか平坦になって、さらには、来れてよかったと異様に強く思った気持ちがこれまた幾ばくか平坦になっていく感覚がありました。

 


私が必死に探して四角い画面の中だけで観た、彼らのJr,時代の曲。
重岡君がキメの言葉やフレーズをいうのがやっぱり一番しっくりくるWESTの初期曲。
ツインや神ちゃんがキメるから成り立つ最近のWESTの曲。
兄組だからなせるWESTをきっちり支える歌声&会場と自分達の融合を促す声掛け。
思い出と対峙して彼らが流した涙。
泣く人がいれば耐える人がいる絶妙のバランス。
会場に投げかけられたとびきりの笑顔。
メンバー同士が見つめあった時の最良の笑顔。

 

このコンサートにあった全部がジャニーズWESTにとってなくてはならないもので、私が観たことがあるものも、観たことないものも、はじめて肉眼で観たものも、全部が一気にまとめて放出されていた。

 


関西というジャニーズ文化の成り立ちの中で、松竹座からジャニーズWEST世代を応援してきたファンの皆さんは、彼らが感謝の言葉を述べたように、ここにジャニーズWESTが立つうえで無くてはならなかった存在だと、正直、本当に思う。
事務所の上の人の目が届いて、努力や才能がきちんと見出されて「YOU、出ちゃいなよ」が比較的多く存在する東京との落差を支えていたのは、本人たちの継続力とずっと応援してきたファンの人の熱量だったんだと思う。

 

だからこそ、途中でジャニーズWESTを好きになった私は、ふとした瞬間に引け目があった。あれも見てないし。フォト一揆もやってない。つーか、松竹座の場所も知らない(目をそらしながらのどきどき発言)。


でも、今回のコンサートにおける一気放出で、観れなかったものすべてを観た気になった。あくまで観た気。
観てきた人には、観てきた人の思い出がある。それは真実で、現実。
私のは観た気。それは感情による保管で、現実の話ではない。
でも、それでいいと思った。
だって、これが途中から好きになった私たちが手にできる最高地点で、そこまで手を引いてくれたのはまぎれもなくこのセトリでコンサートをしたジャニーズWESTだったから。

 

そして、ここまで支えてくれてきた先輩方、本当にありがとうございました…と思った。
今まで、悔しさや引け目が先に立って、なんかここまでは思えなかったこの感情。

 


そして、少しおこがましいかもしれないけれど、私たちはジャニーズWESTのファンは、ジャニーズWESTの兄組と弟組のようになれたら…と7人が挨拶している時に、彼らの物語に泣きながらも思った。

 

デビューしてから敬語の介在を失くした7人。
重岡くんは淳太くんにいたずらをし、照史くんはのんちゃんの胸でえんえん泣く。

でも、ここまで関西のメンバーで来れたのは淳太くんが、照史くんが、濵田君が、そしてステージにはもういない人がひっぱってくれたからだと心から弟組は思う。
そして、ジャニーズWESTを強くしてくれたのは、弟くんたちが活躍してくれるからだと心から兄組は思う。
そういう仲になれたらいいなと弟組の私は願おうと思うし、先輩と仲良くさせてもらえることがあれば、ちょっと生意気にいこうと思う(ちょっと生意気が魅力のジャニーズWEST弟組に免じてほしい)。

 


そして、挨拶のあと、「All My Love」で涙がこみ上げて歌えなくなった濵田くんが涙をこぼしているのか、こぼしていないのか、ツインの涙をはじめ色んな感情で潤んでしまった私の瞳×ポンコツ望遠鏡ではまったく見えなかった。


「遠いな」と思った。
で、それがすごく嬉しかった。

 

メンバーはがみんな、その直前の挨拶で「僕たちは(ファンと)遠くない」と繰り返していたけれど、それは気持ちの話(ありがてぇ申し出です)で、物理的な距離というか現実的な距離は事実、遠くなっている(結局、涙はどうだったのかしら…)。
でも、アイドルはその名の通り偶像である限り、遠くにいくことがアイドルとしての進化であり、正しい関係なのでは?と思った時、「ボクら」の歌詞が私の頭の中を走った。


「キミはキミのために生きるんだ ボクはキミの陽だまりになる」


陽だまりは、ただそこにあるもの。
暖かさというものをこちらが何も差し出さなくても享受できる場所。
つまり、相互関係ではない場所。
私たちがなにかを犠牲にしてまで差し出さなくても、ジャニーズWESTは自分たちの星の持つ熱量で暖かさを届けてくれるというのだ。

 

そこまでたどり着いているのだ、ジャニーズWESTというものは。
あぁ、アイドル、最高のアイドルじゃん!!!!

 


でも、陽だまりに「生まれてよかった」と言わせたり、目に涙を浮かばせることができるのは、ペンライトの光だけだという法則をがっちりと手にしたのも今回のコンサートだった。

行ける公演のチケットを手に入れて、家族に行きたいとできる範囲で交渉して、少し早起きしてグッズ列に並んで、友達と待ち合わせしてわきゃわきゃして、コンサートが始まったら手動でメンバーの色に光を変えて、コンサートが終わったら電源を切る。

 

自分の力でいつ誰に求められてもいいように暖かい場所を用意しているジャニーズWESTが放つ光とはまったく違う種類の光を私はこれからも照らそうと思う。

 

翌日、新大阪駅でクリスマスに留守番を頼んだ家族のために「551」をたんまり買って、東京についたら団扇をカバンに忍ばせて仕事をした。


私は私のために生きる。

キミたちは陽だまりになってくれ。ありがとう。