自担の凶悪な姿を見ると胸がはずむのは、一体こりゃなぜなのか問題について
はじめまして。
読むばかりの毎日でしたが、これだけぐるぐる考えて、少し呟いて、ぐうすか眠って7割方どうしようもなく忘れてしまうのが(それは人間が生きていくためにとても大切なことではありますが)惜しくなり、ヨチヨチとアカウントをつくってみました。
32歳。紫ジャス民。会社員。みずうみです。
知ってますよーな顔してますけど、スクショが正直使いこなせていないほどのヨチヨチぶり。
画像やつぶやきの引用なんてできる気がしない。いまのところ。
だけど、動かずして得られるものなしということは、ここ10年のジャニヲタ人生で学んだことでもあるので、色々間違えたりもするかと思いますが、開いたまま席を立ってもいいノートという気分で書いていきたいと思います。
卒論ではない、あくまでノートであるという気持ちですゆえ、万年筆で書く日もあれば、そこらへんにあった銀行のボールペンでメモを書きなぐる日もあれば、酔っぱらって絵にもならない絵を描く日もあるかと思いますが、目に触れた方宜しくご自由にお願いいたします。
そもそも、この「自担が凶悪な姿を見ると胸がはずむのはなぜか」という問いは、自担である濵田崇裕さんの角刈りヘアーをタイムラインで拝んだときにこんな妄想を1秒でしたことからはじまりました。(い、い、引用にトライ…)
濱田さんのこの髪型からイマジン…
首筋から顔に這い上がる刺青しちゃってて、しかも、そこから足首まで全身そーなんだろ的な
死ぬのなんて恐れてないから、血がぼたついても手でぬぐうだけ、で、残忍な報復なんの躊躇いもなくできちゃう極悪役……
いいと思うひとー?
はーい(-o-)/!
— みずうみ (@numadeasobu) 2015, 11月 21
わたしは、濵田くんの「相手を否定しない受容力」を愛しています。
100パーセント飲み込んで受け止めているのか否か問題は別として、メンバーから「WESTに濵ちゃんがいてよかった」と言わしめるこの力は実在するものでしょう(だってメンバーが言うんだから、ね!)。
そして、濵田くんの「不満や辛さを表に出さない」も愛しています。
『育ジャニ』の大阪マラソを終えたラストシーン、立ち上がれないほど足が小鹿のようなのにカメラに向かって振り向いたところで号泣したクチです。
ということで濵田さんは、私の中では、芯から優しい人認定です。
演技をするときに役者さんがすることは
①脚本を読んでストーリー全体の流れとセリフを読解する
②読解したものに自分なりのイメージを付随させる
③イメージを身体で表現する
だと思います。
③の反射神経がいいというのにも胸ははずむのですが、これはまた別の機会に。
「自担が凶悪な姿を見ると胸がはずむのはなぜか」の答えは②の行為かかわるものではないかと思うのです。
私が妄想した”残忍な報復なんの躊躇いもなくできちゃう人”という役が、万が一濵田さんにきた場合、その残忍さをきっと濵田さんは想像します。
彼の直接的、間接的な経験から「残忍さがわからないほどの残忍さ」を想像します。
その内容は私たちには残念ながらわかならいのですが(悔しいぜ)、その出力したものを観ることができます、テレビや劇場で、ほお、濵田さんの残忍さとはこれですかと。
読んだり、使った言葉でないと文章にできないように、頭の中に入ったことのあるものでないと演技として出力ができない。
≪出力されたもの=濵田さんの隠れた残忍さ≫とはいいがたいけれど、≪出力さらたもの=濵田さんが残忍さだと思ったもの≫ではあるのではないか?
芯から優しい人のキャラクターである濵田さんは、ラジオでも、リトラの過酷バイトでも、粉モンクエストの旅でも、にこにこ、ええでええでの出力が多い。
濵田さんだけでなく、アイドルは比較的そのターンが多い。
歌って、踊って、笑顔でバキューン。クールな曲もいいけれど、クールは凶悪さではない。
だから凶悪な姿をみると、いつも見えない君の頭の中をのぞいた気分で胸がはずむのではなかろうか、と思うのです。
決して、我々は誰かに殺されたいわけではない。
はじめて知った愛する君を前に死んでもいいと思うだけだ。