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今宵も月が綺麗ですね

なぜ、月は輝くのか。そして、偶像に生身のわたしが「アイラブユー」と思うことについて。

猫を捨て太陽になった男の子・重岡大毅

 

 

 

溺れるナイフ」の本編とメイキングを観ました。

 

旦那氏からの

「君もたまには存分に自宅でジャニヲタクライフをしたかろう、息子氏と自分は、祖父母の家に二日ほどバカンスに向かう!」

という神発言。

「結構存分にやっておりますけど…」という返答は大人の瞬発力で胸にしまい笑顔でお見送り。

玄関先でされた「あの大量の録画を消すなり焼くなり、雑誌を捨てるなり分別するなり、な?(な?が強め)」と比較的眼光鋭め発言に大人の瞬発力で「はい!!」と元気よく返した直後、観ました。

 

夫氏のやってほしい事リクエストにはまったく答えていない行為なのですが、私はどうしてもこれを集中して観たかった。

 

 

 

重岡大毅をほんの欠片でも、最悪、自分のつくったイミテーションでもいいから掴みたくて。

 

 

 

 

 

「なうぇすと」ツアーに何度か足を運んだ時に、私は重岡くんがすごく気になりました。

もちろん毎回の御髪のスタイリングも気になった(YES、前髪過激派)んですが、そうじゃないところで。

 

 

重岡君よ、なぜ切ない歌の時に笑顔をのぞかせるのかい?

重岡君よ、ファンとの距離めちゃくちゃ均等やね

重岡君よ、どうしてそんなに瞬発的に人に絡むのか(特に淳太)?

 

 

 

ヲタクとアイドルの宿命(遠い距離)ゆえに問いかけることもできず、ティーンばりに胸をモヤモヤさせている中での「猫、捨てた」発言。

 

 

君はどんな猫を飼っていたのだい?

かわいいヤツ?

陽気なヤツ?

気まぐれなヤツ?

しっぽの先くるんってなってるヤツ?

 

 

都内有数の猫スポットに住んでいることをいいことに、出勤中に猫を眺めながらいや、この猫の話じゃねえと思いつつもまた胸をモヤモヤさせる日々。

 

ティーンでもないし、猫アレルギーでもある私は、軽い混乱の最中、なにか少しでも辞書になりえるものを探し、そう、荒野を歩いていたのです。

 

 

溺れるナイフ」の撮影は2015年の秋ですので、今の重岡くんが映っているわけではないのは承知でしたが、重岡君の中にあるしみついたものが映っていないだろうか、それは2年前に買った辞書でもきちんと調べ物には作用するのと同意ではないか?

と、考えなくてもいい理屈をこねくりまわしてディスクを入れました。

(私というヲタクがしてしまう偶像パーツ集めと、偶像Q&Aについての是非議論は今回は畳んで脇に置いておきます♡)

 

 

 

 

メイキングを観ていたときのことでした。

監督こだわりのキスシーンという長丁場を終えた重岡君にカメラを向けながらスタッフの人が小声で「すごいねー」といいます。

「いいね」という意味ではなく「すごい(現場だ)ねー。」の意味です。

 

同意の表情をみせたあと重岡君はこういいました。

 

「いいですね。このみんなの気合いの入り方というか、この尋常じゃないかんじ。ええ作品に出れてるな、いい現場におるなって。」

 

そして、「おつかれさまです」とスタッフと言葉を交わしますが、スタッフの言葉には再び軽い不安と不満の色合い。そのあと重岡君は言います。

 

「これどーすんだろうね、いつになるんだろうね、このカットは(笑)。」

 

そのあと、撮休にずれ込むかなというところまで話が進んだとき、重岡君は同意を断ち切ります。

 

「なんとかなるっしょ、おれはもう…なんとかなるっきゃない」

 

 

なんて周りを否定せずに、空気をかえる人なんだ、キミは。

 

過酷な場所にいる人に、ただ頑張ろうということの空虚さ、しかし反対に寄せてしまえば愚痴るだけの無意味さ。

 

どちらにもいかない絶妙なバランス感覚。

 

 

役を演じ角に苦心していた本人も言っていた小松菜々ちゃんとのメイキングシーンでは、常に小松さんの反応を見ている1秒が存在しました。そして、その反応をみてからもう用済みのはずの椿を再び口に加えてみたり、どうでもいいジョークを言ったりしている。

 

その絶妙さは、観察と考察から生まれているものなのだ。

 

 

そんな重岡君は菅田君から完成披露試写会の壇上で「現場の太陽だった」といわれていました。

 

 

 

 

 

 

重岡君よ、なぜ切ない歌の時に笑顔をのぞかせるのかい?

重岡君よ、ファンとの距離めちゃくちゃ均等やね?

重岡君よ、どうしてそんなに瞬発的に人に絡むのか(特に淳太)?

 

 

 

録画の消化も、雑誌の整理もほっぽり出して長い時間「溺れるナイフ」を見つめ続けてもその問いの答えそのものは辞書には書いていませんでした。

猫のしっぽもつかめませんでした。

 

 

しかし、私の中に圧倒的信頼が生まれたのです。

 

切ない歌の時に笑顔をのぞかせる理由がある。

ファンとの一定の距離には理由がある。

尋常ならざるウザがらみには理由がある。

 

それが正当で正解でなくても、重岡君が観察と考察をしたうえで、自分の置き場所を決めてやっていることであるという信頼。

理解していなかったり、さぼっていたり、むやみやたらにやっているわけではないという信頼。

 

ウザがらみも、なにもかも簡単に発散して怒りに発展させない(「おまえなんやねん!!」をWESTいちのスピードと頻度でいう)安心の淳太くんにしているのも観察と考察ゆえかもしれない(そーだそーだというヲタクの希望をこめて)。

 

 

 

松竹時代の重岡君を見たことのない私は「捨てた猫」がどんなやつだったかはわかりませんが、「猫をかぶる」でいることは自分が相手から危害を加えられぬ安全な場所にいるためにすることです。

 

 

「太陽になる」ことは自分は常にメラメラと燃え続け、太陽系を照らすためにしていることです。

 

 

猫(自分のためだけ)を自覚的に捨て、太陽(まわりを照らす)と人に評されるセンターがいるのがジャニーズWESTなのです。

 

 

ちなみに、太陽のはじまりはこうです。

ガスが自分の重力で集まって密度を増して分子雲になる。

その分子雲がまた自分の力で収縮し太陽のもとの星になる。

その星がまた自分の力で成長して燃え始めるそうで、そう、すべては自分の頑張りだそうです。