今宵も月が綺麗ですね

なぜ、月は輝くのか。そして、偶像に生身のわたしが「アイラブユー」と思うことについて。

人生に信じられない1日があっても誠実に生きるのだ ~濵田崇裕座長公演  歌喜劇 市場三郎 温泉宿の恋~

 

「歌喜劇 市場三郎 温泉宿の恋」の公演が終わりました。
私は2回ほど温泉につかりにいってきました。
ババンババンバンバン。

 

自担の初座長公演だというのに、1回目は前日の仕事関係の飲み会が信じられぬ程に真夜中まで濃厚に開催されたの影響(ごめん濵ちゃん、自分で楽しくなって自ら飲んでたふしある)で、内臓達がまっすぐに体の角度を保つという日常を許さないほどの二日酔い。
2回目は前日に夫氏の眠れない夜になぜ眠れないのかというお話をじっくりと聞くという家族を保つための義務を果たしたことによる(ごめん濵ちゃん、私、結婚してます…。)結構な寝不足で新大久保に到着。
「いい大人なんだから整えていけよ!いやいや、いい大人だから整えられなかったんだよ!そして、濵田はお前の事情など聴く暇は1秒もない。」と私がつかみ合いしながらグローブ座にチェックインしたわけですが、帰り道は

 


というように人一倍、元気な様子で帰宅しました。
つまりは、そういう舞台だったのです、「歌喜劇 市場三郎 温泉宿の恋」とは。

 

 

 

 


濵田くんが演じた“市場三郎”は他人から見たら「散々な人生」という5文字を充てられる可能性がある青年でした。

市場生まれの三男坊。
長男は超インテリ、次男は中学2年の時オネエに転向、ゆえに自分の意思とは関係なく市場を継ぐ人材として父親から期待され、3歳の頃から午前2時起きをはじめとする、しごきを受ける。三郎を産んだことでお母さんはお亡くなりに。18歳の時に実家を逃げ出し、留学に行った恋人からは5年間も音信不通。さらに、たぶん低賃金労働者。

ねぇ、三郎くん
“お母さんが亡くなったのは自分のせいと思った?誰かからおまえのせいだって言われた?”
”ひたすらにしごかれても歳が離れすぎている複雑な事情を抱える兄に「助けて」も「なんで俺だけ?」も言えなかった?”
”3歳からずっと2時起きだと学校終わって宿題できるかどうかわからないくらいで眠くなっちゃうよね、放課後に友達と遊んだりしたことなかったでしょ?”

”そんなきっつい日常から解き放たれる瞬間もなかったから、朝食バイキングはじめてだったんだよね?外食もしなかったって言ってたし”
”そりぁ、レッサーパンダもミーアキャットもそりゃ見たことないよ”
”道の駅もしかりだね”
筑前煮は一回つくれば結構何日も持つから、母親不在の市場家の命をつなぐ食料だったのかもしれないね”


事実を並べて涙ぐんで、勝手に結論付けて、頭をぐっしゃぐしゃに撫でて、頼まれていないのに私との20センチ以上の身長さを常にジャンピングで縮めながら抱きしめてしまいたくなるほどきつめな幼少期~少年期を過ごした三郎くん。

しかし、三郎くんは私の手を柔らかに払いのけ自分の身の上を語るときには事実しか言いませんでした。
「しごきから逃げだした」という趣旨の発言でも、あくまで主語は自分。
そして、父親と兄への罵詈雑言も一言もない、5年も音信不通されている彼女に文句の一言も出ない。

 

なんだか、涙ぐんだことが失礼になるようなこの感覚。
それに加え、
【先輩がポイ捨てしたたばこを拾う(Tシャツの中にしまっていたので火傷が心配)】
【温泉からあがるときにちゃんと足についた水を風呂場できってから脱衣所に行く(その足首さばきに役柄超えた部分で悩殺されたことは秘密)】
【出会ったすべての人に基本は敬語(恋愛提唱になると「~やんす」などと不自然表現してくれるのはわかりやすくでよろし)】
など、とても「誠実な」青年なのです。


でも、この「誠実さ」……ちょっと複雑なように私は感じました。
【彼が持ち合わせている人間性】と【こんな俺だから…という後天的な卑下】が同居している。

 

「市場生まれの俺だから」
「旅行もしたことない俺だから」
そして、「こんな俺が恋なんかをしてもいいのか」

 

自分のせいではないことから発生している、彼の人生のところどころのアンラッキー。その体験と、おそらくその時に感じた感情から導きだされた「自分は価値が薄い」という結論。

普通、こういう思考に陥った人間は2パターンに分かれると思います。


① 「どうせ俺なんて…どーでもいいんだ!」→価値のないものを放棄する姿勢。
(「こら、親の金を盗んで…待ちなさい!」「バタン(ドアが勢いよく閉まる音)」「遊びにつかうならまだしもクスリなんか手を出してたら…そういえば最近あの子…」パターン。)

 

② 「どうせ俺なんて…だからこそ補填しなくちゃ」→価値の低さを認め、価値の上昇をあきらめるがここにいてもいい人間になるためのいい人であろうとする姿勢。
(「キミには才能があるから東京に出たほうがいい」「いや、俺、家のこともあるし、そもそも買い被りです。そんなこと言ってもらっただけでありがたいです、あっ、そろそろ店番戻らなきゃなんで」パターン)


三郎くんの「誠実さ」は②なのか、はたまた先天的なものなのか。3歳という自我の形成前に過酷な状況に追い込まれていた過去があるため、私たちも、三郎くんも判断できないところが大いにあると思うのですが。濵田くんのセリフの言い方やらを受け取るたびに②の要素も混じっている気がしました。

 

こういう卑下感情って誰かが卑下発言が出たときに「そんなことないよ、大丈夫だよ」といってもなかなか一度自分に押した「価値なし」ハンコを拭い去るの難しい。
辛い瞬間、傷ついた瞬間、あー自分に価値がないからこうなるのかしら?と疑問がわいたまさにその瞬間「そんなことないよ、大丈夫だよ」とその人がハンコを自分に打とうとする手をガシっと止めるのが一番きく拭い去り技術。

でも、大人になった三郎くんの体はすでにハンコまみれでした。

 


でも、グローブ座で私は奇跡をみました。

 

 

三郎くんの発言や行動における【誠実さ】をみるたびに、700人の観客が「三郎、いいやつ!」「そんな三郎、好きだよ」とメッセージをこめた視線を三郎くんに向ける。ジャニヲタお得意のうちわ芸はもちろん持ち込みできないから、とにかく視線で投げかける(私も心をシュワリと突き刺されるたびに虹色のレイザービームを出しました)。

すると、三郎についていたハンコの朱肉あとが、どんどん薄くなっていった気が。
700人の視線って強い。

はじめての温泉旅行の高揚感も、恋のパワーもあったかもしれないけれど、三郎くんは卑下というゴムバンドみたいなものでぎゅっと折りたたんでいるだけだった自分の心と体を開放して、自分のしたいことをするために動きまくります。野球拳を止めるために、電気をアクロバティックに止めにいくところは、まさに三郎の心と体が伸びやかなものになった頂点のシーンだったのでは?

 

結局、恋した相手(本名もわかんねーし)にはフラれるし、せっかく貯めた100万円(安月給…)も失ってしまうけれど、三郎は「こんな俺だからこうなった」とはもう言いませんでした。明日に向かって歌い「お天道様も笑ってら~」と明るく幕をしめた。

そう、「誠実に生きているのはとてもいい、あなたの人生には価値がある」ということを客席が肯定の視線で三郎くんに証明してあげて、三郎が変わった。
そんな奇跡を私は目撃したのだと思います。

 


そして、以前の記事でも書きましたが、三郎くんは濵田崇裕が演じた役。あくまで役。
でも、役を演じるための想像力の源はすべて濵田くんの中に蓄積されてきた経験だったり、価値観だったり、感情だったりする。

 

 

numadeasobusokohamizuumi.hatenablog.com

 

 

デビューするまでにかかった月日。
2013年大みそかの信じられない1日
デビューしてからのどれほど本気かなんてわからないけれど「メンバーに比べたら俺なんて」といういくつかの発言。

そんな濵田くんが三郎くんになったことで、700人の客席からの三郎くんへの肯定の視線を浴びる。

グループの1人としてではなく、たった1人の座長として。


そして、千穐楽に濵田くんが「自信がつきました!」と言い放ったこと。
これが、最大の市場三郎の奇跡、でもその奇跡は三郎くんを演じあげたこと含め、濵田くんが積み上げてきたものすべてに宿っていたと思うのです。

 

 


濵田くんが「アイドルとして誠実に生きているのはとてもいい、あなたの人生には価値がある。」


私も飲み会では盛り上げるために少しなら飲みすぎて、家族が眠れぬ時には付き合って、三郎くんのように、そして濵田くんのように誠実にいきたいと思ったのです。