今宵も月が綺麗ですね

なぜ、月は輝くのか。そして、偶像に生身のわたしが「アイラブユー」と思うことについて。

「なうぇすと」ツアーとは、ジャニーズWESTの変化宣言、即時実行、過去と未来の保証である

 


今のジャニーズWESTがスキャンされる。
即時データベースが公開される。
それぞれに客席をジッと見つめる7人。
反射的にあがる黄色い歓声。

ディディディディディ、私たちが愛してやまないイントロ。
同時に現れたシルエットは耳に手をあて、今目覚めるかのよう。
そして、7人は横並びだった。

 

 

 

12月25日になんやらかんやらとネゴシエーションの末に大阪へ向かい、アイコンだったお友達お顔を生で拝み、「ぼくたちの夢へようこそ」といわれはじめてコンサートで泣き、はじめて自担が涙をこらえている姿を眼球で捉え膝がガクガクした日から、「2」を見ては潤み、「4」がそこにあったらさらにヤバく、「W」を見ては空を仰ぎ、「T」を見ては目を閉じて染み入る、さらに「重」もむりだし、「中」もだめだし、「感謝」はもうアウトみたいな、年末感謝セールのチラシでさえ普通に読めない日々を送っていた私。

 

この記事を書いたあと

 

numadeasobusokohamizuumi.hatenablog.com

 

 

同じキーワードの活用形でなんやらかんやら1月3日には無事に横浜アリーナに向かい(I’mネゴシエーター)、興奮したら折ってしまうのでは?と雪だるまのボリュームに比べると不安で名前も知らぬ奴のペンラを握りしめ立っていました。


そして、宮城(I’mネゴシエーター再び)、先週の静岡(実家への帰省を活用)でくしゃみを連発しながら(あの山の花粉、凄くなかったですか???)私の『なうぇすと』ツアーは終了を迎えました。
ということで先にn回目の結論にはなりますが「ジャニーズWESTは最高だ」というメッセージを個人的なツアー振り返りとともにビンにつめ、ネットの海にどんぶらこ~と流しておきたいと思います。


※以後当然のネタバレブログです、知りたくない!という方は回れ右でお願いいたします

 

 

 

ジャニーズWESTの変化宣言

 

私も勿論、パリマニ大好き芸人(ジャス民通常感覚)の1人として、テンションぶちあがったOPだったわけですが、7人が均等な距離、同じポーズで登場したことには大きな意味があったと思います。
そう、いつだって俺たちの始まりイメージは重岡君の「ええじゃないかー」か「いくぞー」的な掛け声だったよね?
そうでないないことが、ぶちあげで始まるという合図。

 

続いて『なうぇすと』のOP曲でもある「Unlimited」。
たった1週間ほど前に【憧れてきた夢のステージ】に立った7人が、今ここで歌っていることがもはやCDをリリースした時とは違う。
そう、今!今なんだ!と頭を殴られるような衝撃。
全ての濵田担の血の温度が上昇したであろう京セラでの涙をこらえる濵田くんのぷくう顔。私の血も生命維持ぎりぎりまで温度上昇し、一生忘れない!!と6902684回刻んだ。でも、濵田くんおよびWEST、今は全然違う顔してる。

 

今、見るべきものが、見逃してはいけないものがクソほどある!!


オタク本能と経験が叫ぶ!!!


「私よ、記憶の容量整理、今しないで、いつするの!?!?」


ぷくう顔はデスクトップから、マイコンピューターに移動。


安心しろ、ぷくう顔はテレビ誌とドル誌で保管できる!!!

 

 


【Ah…今はまだ 僕らは旅の途中 一緒に行こう Just believe yourself …Unlimited】

 

 

 

 

 

ジャニーズWESTの即時実行

 

瞬時にあけた容量に流れ込む大量の新しいデータ。
『King of chance』での、神ちゃんのトランペット。
『You’re My Treasure』での、のんすけによるどセンター会場支配。
『CHO-EXTASY』での、ツインを引きつれた神ちゃん先頭花道切り裂き。
死ぬほどかっこいいジャケットプレイからのアイスの被りもんの高低差、これまでとは比べ物にならないギャップという武器の強さ(耳キーン)。

 

1人が中心にいて、それを6人が囲むというフォーメーションが何度も展開されるけれど、誰が真ん中でも大丈夫。

 

重岡くん+ばどユニット曲のリア恋演出力。
はまこたユニット曲のシンプルでもきちんと魅せれる力。
りゅせかみユニット曲のやんちゃ帝王力

 

 

見たことない。
毎日死ぬほどあなたたちのことを見てるつもりですが、見たことないWEST。
でも、想像はしてみてた。
こんなの見たいと。
新しいが全部欲しかったやつ。すごい。

 

 

欲しいものをこっちが検索しなくても即時お届けしてくるとか、Amazonプライムより便利だし、頼もしいんですけど!!!


流通革命!!

 

 

 


【アップデートする僕ら】
【超いい…。】

 

 


ジャニーズWESTの過去と未来の保証

 

 

ぐわんぐわんと頭が新しいデータで埋め尽くされている最中、流星君のゆるんだ笑顔の続いて重岡君がいいました。


「ええじゃないかー!」と。

 

『ええじゃないか』『バンザイ夢マンサイ』『逆転Winner』『夢を抱きしめて』…ジャニーズWESTを好きになってから毎日見てきたジャニーズWESTの映像が頭の隅で走馬灯のように流れる。
このコンサートがはじまってから、重岡くん(センター)でない人がコンサートの空気引っ張ってきた感をどこかしら感じていた私。


でも重岡くんが「ええじゃないかー」といった瞬間から会場とステージの距離が一気に近づいた。
そこでここまでの空気の多くが「圧倒」でできていたことに気づく。


だから新しかった。
でも、私たちはこの巻き込まれる感覚「一緒」という感覚でこれまでWESTを愛してきたし、それはなくしたくないし、それを一番ここに力強く持ち込めるのは重岡くん(センター)だと思った。

 

 

そして「一緒」の空気は『バリパピ』でそれは爆発する。

 


私たちが築かせてもらったものの上に、今がある。
とにかく「○○件のアップデートがあります」と表示が出て、許可ボタン押したけど仕様はどれだけ変更になるのかしら~なんて不安になるあの気持ちを、過去の上に立つというスタンスを後半にしっかり示すことで解消してくれるジャニーズWEST


お客様満足度ナンバーでしかない。


キャリア(担当ユニ替え)変更しません!!!!

 

 

アイドルを愛するということは、あくまで相手は偶像ではあるけれど、愛している私たちは実像です。

 

あの時にあの曲を聞いた。
あの時にあの公演に行った。
あの時にキミを思い出した。

 

そういうことは相手(自担)には直接は届かないけれど、こちらとしてはとてもとても大事なことです。
(少女趣味かよ…なんて馬鹿にされても1000%の力で言い返す準備はできてる)

 

 

過去の想い、思い出、積み上げてきた日々をアイドルが、「君たち
と僕たちのそれらがあって今の僕らがあるんだよ」と肯定してくれることほど大切なやり取りがあるでしょうか。

 

自担にうちわ指さされたらそりゃ嬉しい、けど、見えない席まで見えないうちわまですでにジャニーズWESTは与えてくれているし、それを「なう」の中にちゃんと入れ込んでくれているとその時、私は思ったのです。

 

 


そして、濵田君は私が最後のチケットを握りしめていった公演の最後にこう言ってくれました。

 

 

 

ジャニーズWESTは、過去と明日を保証してくれるアイドルです。
変化宣言して、即時実行して、新しいことでファンの頭をぎゅんぎゅんに回転させるだけではないアイドルです。


そう、ジャニーズWESTの「なう」は最高。
「なうぇすと」は最高。

 

 

 

 

【この手は離さない You’re my desire Oh singin’ Oh】
【何も怖くはない I’m a believer Oh singin’ Oh Year】

「破門」 “木下ケンの恋”という妄想

 

木下ケン 
「二蝶会」の若手構成員。上部団体である神戸川坂会の“本部部屋住み”として修業経験もある、やくざのエリート。兄貴分の桑原に対して「桑原の兄貴は裏表がないし、行くときは自分が行く。俺は好きですよ。」「『昭和残侠伝』を絵に描いたような人」と言い尊敬している。

 


はい、観てきました『破門 ふたりのヤクビョーガミ』。

YABAIZO!!!!
刺激的コンビ!!!! 衝撃的くわにの!!!

 

 

と観たあと5時間たってようやくちょけれるくらいコンビとはなにか?の概念の深淵をいく映画だったのですが本編に対する考察はまた後日書くとして、我らが濵田崇裕が演じる木下ケンへの妄想が止まらなくなりました。


このままだと一晩中shake in do it do it do it nowしちゃいそうなので、“トイレかよ、ここは”という使い方をブログでして申し訳ないのですが、吐いたら楽になるよと優しく私が背中をさするので、ちょっとこみあがる妄想を失礼しますね、おえー(混乱具合、察してください)。

 

 

 

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兄貴、いなくなっちゃいましたね(映画のラストからはじまります)。

 

子分にわーわーいわれたくない桑原は「おまえ、変なこといいだすんじゃねーぞ」と先にくぎ刺し済みなので、ケンは桑原最後の日、深々と頭下げます。
で、「二蝶会」の若手としていつか桑原さんが帰ってくる日までこの場所を守ることを胸に頑張ることを決意します。

 

たぶん、彫り物追加しちゃうね。ケンは。場所を守る決意の表れで。
ちなみに、ケンは本当は結構痛がりさんなんだけど(乱闘シーンのあと結構顔に出てたし)、「痛い」って意地でも口には出さないタイプです(ケンの耐える苦悶の表情いいぞ、1800円の価値以上これだけであった)。

 

 

そのあと、こうなります。

 

 

 

 

この水商売のお姉さんなんですけど、たぶんね、もともと家庭環境があんまりよくなくて、そのせいの自然な流れ半分、なにかのため(たぶん弟の学費工面、でもお金できた時に弟は思春期のせいもあってその金を汚れた金として受け取らないんだけど、そのはなしはまたに)に半分で水商売にはいってて、結構やくざの男歴あります。
本人は色んな意味で、ここをきっと抜けられないことを薄々感じてます。

 

 

ケンはね、もちろん童貞じゃないですよ。
これまで、先輩と夜の街でそれぞれ女抱くかんじの流れになるときあるでしょうね、夜の街だもん。
そこでの後輩として断らないという流れにおける性の経験は豊富だし、まぁあれだけ俊敏さあるわけなのでセックスうまいんですけど(もちろんだよ)、ガチの恋セックスしたことあるのか?というとないですね(桃色の溜息)。

 

 

ケンはたまたま人に連れられて行った店でその美人お姉さんの、弟のための金を預けてる口座がある的な部分をどこかで感じて好きになっちゃいます。
で、お姉さんもまんざらじゃない、つーか惹かれてる、こういう実直系おにいさんなかなかいないからね、夜の街。
でも、お姉さんもこれまでの自分の生き方ってのがあるので、ただの女じゃありません。はじめはお客さんの舎弟扱いで飼っている犬の世話頼みます。それで自然に鍵渡します(うまい!さすが!)。

 

犬の面倒、真面目にみるケン(いい!)。
2週間くらい、ひたすら真面目に犬の面倒みてるだけ(いい!!)。
お姉さん帰ってきたら鍵渡してすぐ帰るケン(いい!!!)
マロンちゃん(ミニチュアダックスフンドの名前)、ケンになつきます(いい!!!!)。

 

で、3週間目にお姉さんちょっと怖いお客に乱暴されて帰ってきます(夜の世界こわい!)。帰って来てよくあることだから的な軽薄な笑顔と笑い声あげてシャワー浴びるお姉さん。

出てくるとケンが「大切にしてください、じぶん」といい、相変わらず鍵渡すだけのつもりだったんですけど、お姉さんが思わず抱きついてきて「こんなオンナ、誰のお嫁さんにもなれないよね」なんて言っちゃいます。はい、もうお姉さん決壊。ケンもそりゃ決壊。

 

で、それからは毎日、お姉さんの家にいっちゃいます。
マロンちゃんもうれしそう。
はじめての恋にばかみたいに夢中になっちゃうケン(ばか!すき!)。

 

 

でも、お姉さん、ずるいんだ。
ケンに全部賭けられないんだ。
そりゃそうだ。これまでの歴史と生き方とお金の使い方はなかなか変えられないもの。
好きなんだけどね。ケンのこと。
で、切ることのできなかったやんちゃなおじさんにケンはぼこぼこにされて、この恋は終わります。

これをまとめると「弄ばれた」になるけれど、まあ単純な「弄ばれた」ではないかもしれませんね。うん。


まぁ、でもここまできたら、せっかくだから、殴られた後ゴミ捨て場に捨てられようか、ケン(わたしカラスに転生してその姿を最前でみるね)。
泣いちゃうね、ケン(カラスですが撫でさせてください)。

 

 

そのあと、そーだなー2年くらいかな、定食屋の女のことが目に入るまでかかります。


この定食屋の娘さんね、二蝶会の事務所の近くの定食屋の娘で、荒っぽいお客さんも多いですね、この店。
で、若いときからこの店を手伝ってるんで、女子独特の強さでおじちゃんをいなす力があります。

注文とるのも、片づけるのもてきぱきしてますが。男っけなくて処女です、22歳くらいですけどね(ヒロインみ)。
で、昔から店にたまに飯を食いに来るケン(絶対に食べ物残しません)のこと気になってます(少女漫画み)。

 

で、ある日、店で中途半端やくざみたいな人同士の結構大きめのもめ事起きちゃって、その場にたまたまケンも居合わせます。
机が大きな音でガッチャンってなった瞬間、この娘、「ほかのお客さんに迷惑です!」っていうの(えらい)。
でも、暴れてるやつらは男も女も関係なくなぐる流儀の人なんで、突き飛ばされます。
で、ケンはほら、女は殴らない流派の桑原の弟分なんで、「女殴ったら男の格が下がりますで」と格の違いを1秒で見せつけて外連れ出します(たぶん外でやってる、なにかしら)。

 

戻ってきて、倒れている娘と机、起こして、定食の続きをもくもく食べます(もちろん完食)。「ごっそーさんした、お姉さん、その度胸ええけど気をつけなな、女なんやから」とお代を渡してくれます(ごめん、この時代に男たるもの的なやつです、ケンは、昭和の任侠好きなんで)。

 

 

そこから、来店ごとにちょこちょこしゃべるようになります(ケン、無意識に口数増えてるパターンね)。
で、娘がちょっとここから積極的に映画に誘ったりしちゃって(ケン、断りはしないくらいの感情の広がりあります)、無理やり木下を人生ではじめてデートに連れ出しちゃいます(ケン、映画館でキャラメルポップコーン初体験)。

娘、デートは積極的なんですが、まぁいかんせん処女なんで、なかなか性的なお誘いはできません(実家住まいだし、木下もカタギの娘になかなか踏みこめない、にやにや)。

 

 

で、ベタですけど、ケン、風邪ひきます。
で、娘、はじめてケンのアパートいきます。
で、おかゆつくっちゃいます。
ケン、おかゆ食べたの、いつぶりでしょうか?
はじめてだよ、たぶん。
風邪ひいてもおかゆ誰もつくってくれない家庭環境だったんだよ、ケンは。
「これがおかゆか」っておもわずポロリとでちゃいます、言葉と涙(ケン自信もびっくり)。

 

はい、もうするしかないね!
熱あってもするよね!!!!

 

でもね、ケン、全裸になりません。いつまでも肌着きたまま。
しかも、途中でやめそうになる。

なぜかって?????

 

 

刺青みせたくないの!!!


もちろん、刺青入れたこと、後悔なんてしてないよ!!!


ケンは自分の人生、覚悟して歩んでるから!!!

 

でもね、刺青のある体と、刺青なんてもちろんない娘の身体が直に触れ合うことが、境界線を越えて、彼女の人生をこちら側に寄せちゃうことなの!!!!

 


ためらうケン。

娘、肌着に手をかける(処女なのにすぎょい)。

娘、肌着脱がせる(処女なのにすぎょい 二回目)。

娘、刺青に口づけ(処女なのにすぎょい、三回目)。

はい、この人を自分のものにしたい思いが、制御力を上回るしゅ!ん!か!ん!!!!


で、こうなります。

 

 

 

 

 

はああああああああああああ、いい人生だよ、木下ケン。

ちなみにですが、家族持ちのやくざ、ケンは

「いってきます」はいうけど帰りの予定は絶対言わないんだよ。

できない約束はしないから(卒倒)。

 

 

「吐いたゲロ(妄想)は、よう飲まん」。
たいへん失礼いたしました。

たいへんすっきりしました。do it do it do it now.

 

 

 

 

『雪に願いを』(濵田崇裕&小瀧望ユニット曲)は,大人が歌う少年性とのユニゾンであるのでは?論

 


「なうぇすと」に収録されている【はまこた】こと、濵田崇裕くんと小瀧望くんのユニット曲『雪に願いを』。
【はまこた】という四文字の響きだけで、ちょっと膝がガクガクしちゃいがちな私は、はじめて聴いたときに、ガクガク通り越してガックンと膝が折れました。

 

だって、真剣な真剣な真剣なバラード(「真剣」と書いて「マジ」と読む)。
真剣な真剣な真剣な歌い上げ曲(上と同じく)。

家の中だろうが、電車の中だろうが、何度でも膝を折られながらこの曲を聞いた私の勝手な深読み考察を、以下、非常に勝手ながら発表したいと思います。

 

 

この曲のよさはなんといっても、濵田くんの声質と小瀧君の声質の大きな違いが見事に組み合わさってところです。
濵田くんの声は、いつもに増して伸びやかで幅と艶があり、28歳の男性の存在感をありありと示してきます。
一方、小瀧くんの声は純真さが滲む透明感にあふれていて、実年齢の20歳よりはるかに少年のようです。

このリアリティのある大人の声と奇跡のような少年みのある声。
これが交互に歌ったり、組み合わさったりするわけですが、その歌割りにものすごくストーリー性がある気がするのです。

 

 

 

まず、冒頭から少年のような声で歌われる小瀧くんパートは、ロマンチックな表現が多い。

「ため息さえも白く形どった凍える街で」(街を修飾する言葉のロマンチックさ)
「僕の肩に降る華」(雪を華と表現するロマンチックさ)

 

一方、大人びた声で歌われる濵田くんパートは、

「いつもより寒いのは君がそばにいないせいかな?」
「去年と同じ様になんて とても笑えそうにない」

と、喪失感を抱えつつも、どこか断定的になりきれなかったり、今現在の心の叫びというよりは一歩ひいた目で自分を見つめるような表現が多く見られます。


2人で歌う
「こんなにもこんなにも愛しています」
というフレーズはあるものの、
「空は違うけど 君にも見せたいんだ」
が示す、その人を愛しているからその人に何をしたいのかという自分の欲望に関する断定的な表現、「見せたいんだ」を濵田君は歌いません。

 


……これは、喪失感を抱えながらもどこかこの状況に心が追い付いていない一人の男の人=僕(濵田くんによる表現)が、自分の中に眠っている少年性=純粋で無垢で恥ずかしさも伴う感情(小瀧くんによる表現)と向き合いながら、この喪失感をきちんと捉えようとする物語ではないでしょうか????(←深読みポイント)

 


1回目のサビの後、僕が「未完成だよ」という非直接的な否定語で感情を綴る中、少年性パートは再び「心に残してくれたモノ全部美しすぎて」ときちんと感情を口にします。

 

くぅうううう、大人の男が自分の感情見失って見えなくなってるのって最高!!!
論理的に考えられるくせに、感情論弱いんだから!!!!
で、自分でも把握できてないから勿論冷静な顔して出社しているのに、いつの間にか食欲は落ちてて、「なんか、濵田さん、最近、痩せてませんか?」と片思いされている女子社員に恋心込みであわよくば飯誘うくらいの気持ちの決死の覚悟で訊かれてるのに「えー、もともとやろ?」ってそっけなく返してるんでしょ…、本当は傷ついてるのに!!!!!!

 

…すみません、耐えきれず一度感情むき出してしまいました。
話を戻します。

 

 

このあと少年性は
「粉雪が溶けた道にほら 新しい花が咲いた」
と悲しみの中で、叶わぬ願いをかけた雪を表現した「華」と違う「花」を見つけようとしてくれます。
この少年性の前向きなあがきにより、ようやく大人である僕は
「なんだかやさしい記憶が 僕の涙誘った」
と感情に気づきはじめることができます。

 


そのあとのユニゾンパート
「変わり変わる空に~」
の部分は、少年性が僕をリードするように強く歌いあげますが、まだ僕は
「同じ空の下見てるかな?」
と疑問符つき。なかなか大人が素直になりきることの難しさがここに示されます。

 

しかし、少年性はあきらめない。
「確かに僕らは足跡つけた」
と僕に事実をつきつけます。
するとようやく、僕のパートで「宝物」というロマンチックワードが登場。僕の心が溶け始めます。濵田君の歌うこの「たからもの」という一音一音にこめられた愛しそうな声ったら、もう。世界でいちばん柔らかいものを最高に優しくしようという想いを込めながら男の掌で扱ってるような声。くぅ。

 


そして、このあと僕は
「あの日と同じ様になんて とても笑えそうにない」
ありったけの喪失感をこめて歌い上げます(濵田君の表現力の凄みたるや、くぅ)。「とても~でない」という一歩引いた表現は以前と変わらないけど、「去年」というあいまいな時系は「あの日」という明確なものになり、僕が喪失したものとの思い出にきちんと埋没していること、そのうえで「笑えない」という言葉を使うまでの素直さにはもう大人ゆえに変容できないこと、でも歌声は明らかに感情レベルが違う、その僕の揺らぎが一層切なさを生み出します。

 


最後の
「冬空に舞う雪に~」
からのユニゾンは、この曲のどこよりも濵田君と小瀧くんの声が均等にそろっており、僕と少年性がぐちゃぐちゃに美しく溶け合っている様子に感じられます。

そして
「君にも見せたいんだ」
…さっきは歌えなかった僕が、はっきりと自分の欲望を口にしてこの曲は終わります。この時、今まで透明感にあふれていた小瀧くんの声が、どこか少しだけ大人びてビターな色合いを帯びているのは、僕が少年性と向き合ったことにより、少年性自体が僕にきちんと吸収された証なのかもしれません。

 

 

……という物語を勝手に抱きながら見た「なうぇすと」ツアーのはまこた弾き語り……。

 

おそろいチックなファッションだけど、明らかに着る人の年齢層の違いを意識したそれぞれのスタイリングアレンジ。
少年性(小瀧くん)をちらちらと見つめる僕(濵田くん)。
しかし、最後のフレーズまで目が合わない2人。

 


私の膝はガクガクでもガックンでもなく、音もなく消失しまして、どうやって家まで帰ったのかわかりませんでした。とさ。

 

住所を知りもしない濵田崇裕様に送る 壁打ち年賀状

 

あけまして、おめでとうございます。

 

気持ちの良い晴れの日となった本日、ポストに濵田君の敬愛する嵐先輩からの年賀状が届いていました(1/全国民)。
そこには
「出し忘れていた人がいたら、いまからでもうれしい一枚を送っていただければ幸いです。」

という文字がありました。

 

24コンから帰ってくる新幹線の中で、自担である貴方こと、濵田崇裕さんに思ったことを横に長い静岡県を通過しているのに気づかないほど一心不乱に書き連ねていたのですが、仕事やら年末年始用やら24コンが楽しみすぎて、楽しすぎて眠れなかったことからくる身体のダメージおよび、どすこい重量の雪だるまペンラの振りすぎによるでPCに向かえず(言い訳)、もう年も明けちゃったなとか思っていましたが、嵐先輩の言葉に背中に押され、信じられないくらいの優良ビジュアルでカウコンに登場した貴方に年賀状を書こうと思います。

 

 

アイドルとファンという関係性上、もし、ポスト(イメージのポスト)にいれても住所不明で戻ってくるこの年賀状。
自宅のポスト戻ってくるまでにいろんな人が読んでくれるかもしれないけれど、貴方は読まない。
つまり、この年賀状は壁打ちです。打った球が戻ってくる、それを自分が楽しむだけ。
なので、結構気持ち込めちゃいますけど、許してくださいね(←もう自分勝手)。

(あっ、万が一、ネットの海で漂流したこの年賀状が貴方届いたとしたら、いくつかの言葉を打ち込んで、何度かクリックした結果だと思うので、そのあたりは自己責任でよろしくな)

 

 


昔、ブログにも書きましたが、私は貴方の一見とっつきやすそうに見えて複雑なところが、大好きです。

 

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あーーーーーーーー好き。
この好きは、正確にいうと、仲間的な人間だと超超超おこがましくも思わせてくれることにに起因しているなと今はさらに思います(今から勢いで失礼ぶっこきますね)。

 

 

たとえば「イケメンいうたら男前のことや」という貴方。


私からすれば貴方は超超超タイプで超超超イケメンなお顔ですが、佐藤勝利くんと並んで「ジャジャン(クイズ音)!イケメンはどっち???」と≪クイズ100人に聞きました≫(世代…)がはじまったら佐藤勝利くんが勝つでしょう。

念のため、もう1回言う上に文字の大きさの変えときますけど、
私は貴方の顔が超超超顔が好きです。
けど、一般回答例はたぶん絶対、佐藤勝利くんです。


こういうことが貴方をNOTイケメンキャラという複雑さを持つ人間にしてきたんだと思う。
お顔をはじめとして、アイドルという貴方が所属する世界では比べられること、語られること必須な事項ですものね。ほかにもいろんな要素があったことでしょう。
MVの個人パート撮影の時、礼儀は正しいけど、どこか「照れ」や「謙遜」を滲ませる。
そんな時ほど、私は愛しさが増しました。

 

私も普通の人生を歩んでいる人間ですが、いろんなことで比較されます。
「美醜」、「かわいげ」、「仕事のキャリア」、「パートナーや友達がいるか否か」、「飲み会で盛り上げられるか否か」、「Twitterでセンスがあっていっぱいフォロワーがいるかどうか」、などなど。
自分が気にしていることも、気にしていないことも、外からいっぱい比べられます。
私だけじゃなく、きっとみんなそうでしょう。


で、まぁ私も普通に傷ついたりしてきた。
だから、貴方の複雑さが見えるたびに「超好きな人も、同じ人間!」と意地汚い喜びが沸きあがっていました。

 

 

一方で、今回の24コンで見せてくれた、いや、見せつけてくれた「一人セクサマ」やOP映像のトナカイポジション。
こういう、貴方の「まわりがおいしいところをまかせたくなるキャラ」に心底憧れていました。
「同じ人間!だけど、全然違う!会社のカラオケで一発目担わされて散々迷って入れた「仮面舞踏会」をあとで「あれ、中盤以降のほうがいいよ」とか言われる私と全然違う!!!そういうのができるのってかっこいいわー」と。

 


仲間であるのに憧れである貴方×顔が超超超好み。
こっちの好きも複雑!!!!!!!

なんかごめん!!!!!!

 

そんな貴方が24コンで「僕らの夢へようこそ」とドームの真ん中で堂々と(自分で考えたのかどうなのかわかりませんが)いつもは言わないエモーショナルなワードを口にしながら、これまた堂々と会場を抱きしめたこと。

 

「この景色はカメラで撮らないでおこう。また、肉眼で見にこよう」と記録魔の貴方がこれまたエモーショナルな感覚とワードを当たり前のように、しかもこれは100%自分の言葉として口にしたこと。

 

絶対に感情をこぼさない貴方が、きちんと感情をこぼしてしまったこと。


そこには、俺たち(おこがましいけどごめん!WE表記するぞ!)の複雑さの隠し技「照れ」「謙遜」がまったくなくて、私が思っていた貴方の像のバランスは美しい音をたてて崩れました。


そして、カウコンでMVP発表前にカメラばっちり目線で「どきどき演技」かましたのをみて、あっ、これ24コンオンリーモードではないのねと確信しました。

 

 

MVの個人パート撮影で照れちゃう貴方になんか安心していた。
センターに立ちたいといわない貴方になんか共感していた。

 

でも、もうそんな貴方は少しずつ消滅していくのかもしれません。
貴方の複雑さが変わっていくのが楽しみ。

あーーーー、楽しみ。


その変容を楽しめるように、私もいつまでも無駄な仲間意識を保持して、変化していく貴方に無駄な嫉妬をしてふてくされることなくありたいなと心から思いました。

「みんなより結構年寄りなんで」
「デビューしてからの新規なんで」
「仕事結構気を遣うやつなんで」
「子供いるんで」
「代謝悪いので」
「酒がないとやってられないんで」
「1日7時間は寝たい人なんで」
「元来、大雑把なヤツなんで」

そーなんだ、そーなんだけど、それを言い訳にしたうえでヲタ事でも普通の生活でも「照れ」や「謙遜」で逃げないようにしつつ、貴方のスーパーダッシュをかましそうなな2017年についていきたいと思います。

 

出し忘れた年賀状を出すことは私の2017年のための最良行動でした。

嵐先輩、ありがとうございます!!!!

 

 

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

ジャニーズWESTよ、陽だまりになってくれ、私はファン弟組としてペンライトの光になる

 

なんば駅から阪神なんば線に乗り換えた時、とてもいい匂いがしました。
いろんな女の人のいろんな匂いが交じり合ったいい匂い。
まだ小学生かもしれない女の子、双子コーデの10代女子、慣れたテンションの20代女子、お母さんと娘さん。(私は朝5時に東京を出てきた女)
まだ朝9時半。女の人たちが家で、今から向かう場所のために丁寧にまとってきたおめかしの匂いは=恋の匂いで、こんなにジャニーズWESTは恋されているんだと思うと、もう胸がいっぱいでした。

 

 

7色に光る雪だるま、その仕様のランクアップっぷりにその重さすらが愛しい……(後日、その重さゆえ二の腕の筋肉をやられてしまう事はこの時はまだ知らない)。
会場に入ると、ステージを照らしているライトの光が7色に見える……(本当は5色くらいだったけど見た瞬間に記憶を安易に捻じ曲げました)。

 


2016年のジャニーズWESTは、もともと惹かれていた個々のチャーミングさ(特に自担の濵田崇裕の複雑さと単純さのシーソーゲーム……とわざわざ書いておこう)やグループ内の関係性のあり方(特にそのシーソーゲームをうまく乗りこなしてくるはまこた……ともわざわざ書いておこう)に加え、ああーこの子たちはもっと上に行くという確信をひとつひとつ強めさせてくれるのが最高に楽しかった。
なにもかものやり方を知らない0歳児が、周りを見ながら学習し、ついには自分の意思であっちゃこっちゃ動き出す1歳児になるみたいなグングンさ。
このドームはきっとその成長の集大成になる、そう思っていました。

 

 


死ぬほどかわいいサンタ姿と死ぬほど愛しいトナカイ姿を拝んだあとの、1曲目「ええじゃないか」。


幕がおりた時、私は「ぎゃあああ、本物!」と頭の半分で大興奮しつつ、もう半分で、それはそれは静かに、デビューが7人になったことが発表されたときのあのシルエットからの幕おりを思い出しました。
何百回と“映像で”見たあのシルエット。

 

 

…………………あの映像を見るたびに……。
悔しかったーーーーーーー(本音)。
あそこにいたかったーーーー(無理)。
だって、その時はまだジャニーズWESTのファンじゃなかったからーーーーー(現実)。

 

で、姑息にも「今回はこのコンサートに来れてよかった」と強く強く思いました。

 

 


でも、コンサートが進んでいくうちに、このコンサートに来れて本当に楽しくて、本当にうれしいけど、なんだろう、その悔しい気持ちが幾ばくか平坦になって、さらには、来れてよかったと異様に強く思った気持ちがこれまた幾ばくか平坦になっていく感覚がありました。

 


私が必死に探して四角い画面の中だけで観た、彼らのJr,時代の曲。
重岡君がキメの言葉やフレーズをいうのがやっぱり一番しっくりくるWESTの初期曲。
ツインや神ちゃんがキメるから成り立つ最近のWESTの曲。
兄組だからなせるWESTをきっちり支える歌声&会場と自分達の融合を促す声掛け。
思い出と対峙して彼らが流した涙。
泣く人がいれば耐える人がいる絶妙のバランス。
会場に投げかけられたとびきりの笑顔。
メンバー同士が見つめあった時の最良の笑顔。

 

このコンサートにあった全部がジャニーズWESTにとってなくてはならないもので、私が観たことがあるものも、観たことないものも、はじめて肉眼で観たものも、全部が一気にまとめて放出されていた。

 


関西というジャニーズ文化の成り立ちの中で、松竹座からジャニーズWEST世代を応援してきたファンの皆さんは、彼らが感謝の言葉を述べたように、ここにジャニーズWESTが立つうえで無くてはならなかった存在だと、正直、本当に思う。
事務所の上の人の目が届いて、努力や才能がきちんと見出されて「YOU、出ちゃいなよ」が比較的多く存在する東京との落差を支えていたのは、本人たちの継続力とずっと応援してきたファンの人の熱量だったんだと思う。

 

だからこそ、途中でジャニーズWESTを好きになった私は、ふとした瞬間に引け目があった。あれも見てないし。フォト一揆もやってない。つーか、松竹座の場所も知らない(目をそらしながらのどきどき発言)。


でも、今回のコンサートにおける一気放出で、観れなかったものすべてを観た気になった。あくまで観た気。
観てきた人には、観てきた人の思い出がある。それは真実で、現実。
私のは観た気。それは感情による保管で、現実の話ではない。
でも、それでいいと思った。
だって、これが途中から好きになった私たちが手にできる最高地点で、そこまで手を引いてくれたのはまぎれもなくこのセトリでコンサートをしたジャニーズWESTだったから。

 

そして、ここまで支えてくれてきた先輩方、本当にありがとうございました…と思った。
今まで、悔しさや引け目が先に立って、なんかここまでは思えなかったこの感情。

 


そして、少しおこがましいかもしれないけれど、私たちはジャニーズWESTのファンは、ジャニーズWESTの兄組と弟組のようになれたら…と7人が挨拶している時に、彼らの物語に泣きながらも思った。

 

デビューしてから敬語の介在を失くした7人。
重岡くんは淳太くんにいたずらをし、照史くんはのんちゃんの胸でえんえん泣く。

でも、ここまで関西のメンバーで来れたのは淳太くんが、照史くんが、濵田君が、そしてステージにはもういない人がひっぱってくれたからだと心から弟組は思う。
そして、ジャニーズWESTを強くしてくれたのは、弟くんたちが活躍してくれるからだと心から兄組は思う。
そういう仲になれたらいいなと弟組の私は願おうと思うし、先輩と仲良くさせてもらえることがあれば、ちょっと生意気にいこうと思う(ちょっと生意気が魅力のジャニーズWEST弟組に免じてほしい)。

 


そして、挨拶のあと、「All My Love」で涙がこみ上げて歌えなくなった濵田くんが涙をこぼしているのか、こぼしていないのか、ツインの涙をはじめ色んな感情で潤んでしまった私の瞳×ポンコツ望遠鏡ではまったく見えなかった。


「遠いな」と思った。
で、それがすごく嬉しかった。

 

メンバーはがみんな、その直前の挨拶で「僕たちは(ファンと)遠くない」と繰り返していたけれど、それは気持ちの話(ありがてぇ申し出です)で、物理的な距離というか現実的な距離は事実、遠くなっている(結局、涙はどうだったのかしら…)。
でも、アイドルはその名の通り偶像である限り、遠くにいくことがアイドルとしての進化であり、正しい関係なのでは?と思った時、「ボクら」の歌詞が私の頭の中を走った。


「キミはキミのために生きるんだ ボクはキミの陽だまりになる」


陽だまりは、ただそこにあるもの。
暖かさというものをこちらが何も差し出さなくても享受できる場所。
つまり、相互関係ではない場所。
私たちがなにかを犠牲にしてまで差し出さなくても、ジャニーズWESTは自分たちの星の持つ熱量で暖かさを届けてくれるというのだ。

 

そこまでたどり着いているのだ、ジャニーズWESTというものは。
あぁ、アイドル、最高のアイドルじゃん!!!!

 


でも、陽だまりに「生まれてよかった」と言わせたり、目に涙を浮かばせることができるのは、ペンライトの光だけだという法則をがっちりと手にしたのも今回のコンサートだった。

行ける公演のチケットを手に入れて、家族に行きたいとできる範囲で交渉して、少し早起きしてグッズ列に並んで、友達と待ち合わせしてわきゃわきゃして、コンサートが始まったら手動でメンバーの色に光を変えて、コンサートが終わったら電源を切る。

 

自分の力でいつ誰に求められてもいいように暖かい場所を用意しているジャニーズWESTが放つ光とはまったく違う種類の光を私はこれからも照らそうと思う。

 

翌日、新大阪駅でクリスマスに留守番を頼んだ家族のために「551」をたんまり買って、東京についたら団扇をカバンに忍ばせて仕事をした。


私は私のために生きる。

キミたちは陽だまりになってくれ。ありがとう。

 

 

 

既婚子ありジャニヲタが、クリスマスに京セラドームに行くために発した5つの言葉の話

 

ジャニーズWEST1stドームLIVE「24から感謝届けます」の開催が発表された瞬間、公演日「12月24日、25日」の文字、「開演時間:18時」の文字を見て私は立ち尽くしました。

 

ジャニーズWESTがドームだと!!という大きな嬉しさ半分、なかなかの数字の羅列だぜ……と大きな仕事を抱えた気持ち半分。

 

まずは確認です。もうだいたい33年生きてきた感覚でわかってますけども、念のためね。

出でよ、カレンダー

24日のところには【クリスマスイブ】……了解。

25日のところには【クリスマス】…了解。

ついでに23日は天皇誕生日でここは三連休…了解。

 

次の確認です。

出でよ、スマホの路線アプリ。

出発地は21時過ぎに京セラドーム前、到着地は東京…はい、日付変わってますね…1泊の必要性了解。

 

 

大きな仕事、確定です。

ネゴシエーションってやつです。

さて、ここからは既婚子ありジャニヲタがクリスマスに京セラドームに行くために発した5つの言葉の話です。

 

 

 

【その1、価値の共有を求めない】

 

録画リストにおけるジャニーズ占有率、あちこちにインテリアのごとくおかれているドル誌、挙句の果てにはハロウィン音楽祭を一緒に見ていた息子氏(御年4歳)が「びゃくや」という単語を気に入り、ひたすらにこの秋冬「まよーなかーのつきがほえるーぶらっくえんほわーびゃ・く・や」と子供感性で聞き取った適当「BYAKUYA」(NEWS)をあたりかまわず歌いまくるのをほほえましく見守るなどの行為を繰り返している私は、夫氏公認のジャニヲタです。

 

「いつも温かく見守ってくれてありがとう」(万が一、いつかこのブログを見られた時用の一文を大きめに配置)

 

ただ、彼は全くジャニーズに興味がありません。(以下参照)

 

 

 

どうジャニーズが面白いのかという話をふっかけてしまった場合、以下のような会話の流れになります。

 

私 「ジャニーズってさ、私にとっては偶像崇拝で、その偶像をいろんなエピソードから拾い集めてつくるのが面白いんだよねー。」

夫 「………(無言)。えっ、でも昨日Mステ見ながら「小瀧くん産んだ」とか「濵田くんと付き合った」とか言っていたじゃん、あれなに?」

私 「概念としての「産んだ」「付き合った」って意味だよ。」

夫 「………(無言)。えっ、概念……(無言)。あー、おれ、風呂入ってくるよ。」

私 「あっ、待って。じゃあ、その話は置いておいて、、仕事人としてのプロだねって話ならわかるかも、ジャニーズのよさが。」

夫 「………(無言)。あー、でも、結局知らない人じゃん、小瀧くんとやらも濵田くんとやらも。おれ、風呂行くね。」

私 「………(無言)」

 

共有できてないっていうか、むしろ、なんか別の真実も突きつけられている……。

 

それはいいとして…(必死に横に置きました)。

 

こういう関係性において「この件がわたしにとってどんなに重要か」ということに共感してもらおうというのは非常に難しいことです。

ジャニーズWESTがはじめてドームに立つその日までの物語を語れば語るほど相手は無言になる。

その景色の一部になりたいというファンとは何かという話を語れば語るほど相手は無言になる。

 

人は相手と分かり合えないとき、どうしても自分の気持ちをわかりやすく伝えようと努力しがちですが、ないコップに丁寧にミルクを注いでもただ床に落ちるだけです。先ほどの夫婦のむなしすぎる会話をはじめ、ほかの人間関係でも何度もこの失敗を繰り返してきまして、最近ようやくわかってきました。

 

頑張れば頑張るほど無駄。むしろ「なぜ、こんなに自分のわからないことに夢中になっているのだ、この人は」という不信感から無駄な諍いの発生の可能性=LIVEに行かせてもらえない可能性(子ありの場合はLIVEの間、子どもとの生活を相手にお願いするという分担が必然で発生しますゆえ)に発展する恐れすらあります。

 

よって、1言目はこれに決めました

 

「私の応援しているジャニーズがクリスマスにコンサートをすることになり、行きたいです。」

 

シンプル イズ ベスト!!!!

 

 

 

【その2、譲歩をみせる】

 

先ほど触れたように、18時公演となると公演の最後まで京セラドームで楽しんで、きちんと規制退場して、駅までも歩いて、少し混んでいる駅で知り合いと「よかったですねー」なんて言っているとその日のうちには東京までは帰れません。

 

ジャニーズ事務所さんからご提示いただいたスケジュールをすべて享受しようとすると、それが2晩。つまり、2泊3日の外出。

独身もしくは既婚でも子供がいなければいっている、絶対に。

 

しかし、私は考えました。

「クリスマス」という単語について「4歳の息子氏というサンタ認識初期における大人の役割」について、「12月の己の仕事で家をあけるで時間」について、そして「12月の己の遊びで家をあけるであろう時間」についてなど。

瞬時にグラフ化した結果、何度も追試をうけた私の数学能力でもわかる、「今の私、行けて1日であろう、かつサンタ役割を担うイブの夜はムリであろう」という結論。

 

あーーーーーーーーーーーーーー、、はじめてドームにたつ7人の姿みたかった……。

 

ごっくん(涙目)。飲み込めない…。のでもうひと論。

 

幼めの子どもがいるということは「あと自分でよろしく!」がない世界です。

トイレにいくのにも、冷蔵庫あけるのにも、眠るのにも(つまり生命の維持)大人が必要なのです。

そして、その大人の役割を分担するということは「自由な時間が半分になる」ということです。

よく言われることですが、「びゃ・く・やー」と叫ぶ息子氏には心底笑わかされたし、「ふーま(菊池風磨氏のこと)って大人じゃなくておにいさんなんだよね、ケンティは大人」という子供ながらの絶妙なふまけん論を息子氏からぶちかまされたりして考えが深まる夜もあったり、半分に別のもの掛かって、できあがった数字はもとの1でなないけれど別の数字だったりします……ごっくん(再度のみこみ始めました)。

 

そして半分になった中でできることはいっぱいあるけど、外泊するというのは半分の中でできることではないのです。

半分の概念がなんであるのかはきちんとした計算式がないので、各家庭でもめ事がおこるし、相手に「これで計算あっていますか?」と聞くことは参考意見にはなりますが、実際それを聞いたという事実が作用してしまうものもあるので、テストでは発揮されない各々の数学感覚で、それを信じるしかないのです。

で、私は自分が導き出した結論に従うのがよいと考えました。ごっくん(涙目)。

 

ということで、2言目はこれに決めました

 

「日程は24日と25日なんですが、25日だけ泊まりで行かせてください。」

 

 

 

【その3、具体的な計画を伝える】

 

我が家は財布というか通帳一つです。

月の収入に対して、これだけは必要、これだけは貯蓄という額を決めており、それを侵害しなければ誰がなにに使おうと文句は言わないという基本ルールで成り立っています。

とはいえ、この便利時代、「あー、おととい2万おろして、あれ、今日も1万おろしてない?」ということはクリック1つでわかります。

 

また、夫氏の趣味は時計であり、淳太くんのあのお高い時計のブランドを瞬時に「つけている著名人リスト」つきで解説いただきましたが、遠征が必要ない。旅行もあまりいかないという趣味分野であるため、「大阪にライブで行く、一泊で」といわれてもおそらくその金銭感覚がつかめていないと思われます。

 

いくらおろしても文句は言わないルール、しかし、まぁここも人間関係そして、感覚的数学の必要ポイント。なんとなく公平である感覚を生み出すことは、大切です。

 

ゆえに3言目はこちらに決めました。

 

「かかる費用はだいだい○○円ほどになります。」

 

 

※ちなみにこのあと、夫氏は年に一度のお楽しみ「時計を買う」を私の費用に基づいたのか基づいてないのかは知りませんが、遠慮なく楽しんでおられました。

ちなみに「腕一本しかないのに…」は「同じコンサートなのに…」と同義語ですので当然の禁句用語です。

 

 

 

【その4、感謝を述べる】

 

これは、ジャニヲタの皆さんならその効用を理解しまくっている事と思います。

 

想像してください。

楽しすぎた2時間のコンサート。

メンバーがセンターステージで横並びになり、一人ずつ挨拶をしています。

「ありがとう、これからも俺たちについてきてください。みんなが応援したいと思える僕たちでいます。」のオンパレード…。

 

むしろこちらがありがとう!!!!

言われる前からついていくつもりです!!!!

つーか、ちゃんとそう言える自担最高すぎる!!!

泣!!!!!!!!

 

はい、よくわかる感情ですね。

 

言わずもがな4言目はこちらで決まりです

 

「いつも行かせてくれてありがとう。これからもよろしくね。夫氏もなにかあったら言ってね(25日以外で)。」

 

 

 

【その5、欲をかかない】

 

これは最近のことですが、夫氏より以下の言葉が発せられました。

「24日からさ、息子氏連れて実家行こうかなーって思って。君は君で疲れてそうだから24日はゆっくりしなよ。」

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

ありがてぇぇけど、わかってねーーーーーーーーー。

ジャニヲタがなんたるか、わかってねーーーーーー。

ゆっくり休むより、正直、大阪いきてーーーーーー。

 

ツィッターに時折並んでいる「24日譲り」の文字。

WESTが見るはじめてのドームの景色の想像。

その時、誰が泣いて、誰が泣かないかの何百通りもの想像。

頭が割れそう。

 

でも、私はこの12月、仕事が激烈忙しかったのです。

ちょっと夕ご飯を家で食べた記憶が薄いほど。

少クラセレクションスペシャルを今日はじめて見たほど。

彼はずっとその間、子育て分担をしてくれたうえで「ゆっくりしなよ」と言ったのです。

神です。神聖なる発言です。

 

ジャニヲタでない彼に「ゆっくり」よりもコンサートにいくことが滋養になる話は【1】の覆し…。

【2】のうえに存在しているかもしれない「ゆっくり」…。

【3】は超高額ではないものの直前での変更。

【4】のここにきての効力はいかに…。

そもそも神のやさしさに欲望をレスポンスしていいのか…。人として…。

 

私は長く既婚子ありジャニヲタを続けたい。

神の不信感をかう可能性に長いスパンの視点でひるまざるを得ない私を、ジャニーズWESTというかジャニーズは「(基本的な)存在の永遠性」(かっこはつけるべき年末なのでつけました)なぐさめてくれるのでした。尊い。

 

最後の5言目はこちらです。

 

「ありがとう。24日ゆっくりさせてもらうね。」

 

 

さーて24日は……美容院いこう!!!!

前髪切りすぎよう!!!!

おでこを隠しながら25日の早朝に新幹線に乗り込もう!!!!!!

濵田君、わたしのこと抱きしめたくて困っちゃうかな???

 

 

最後に言いたいことがあります。

みなさんの24日魂レポ、汗なのか涙なのか、そのあたり中心に何卒何卒お願いします!!!!!!(本題)

 

これだけ思考をめぐらせてもスッキリはしていない…これが「本当にジャニーズWESTが好き」ということです。

 

夫氏へ「いろいろ言いましたが25日行かせてくれてありがとうございます(土下座)」(万が一、いつかこのブログを見られた時用の一文を大きめに配置、その2)

溺れないナイフ 重岡大毅

映画が終わった瞬間、座席と自分がくっついていた。

手足に力が入らないというわけではなく、なんだろう圧? そう、圧! うん、圧!!!

ずっと見つめていた画面から出たと思われる圧みたいなもので、私と背中と座席は密着していた。

生まれたてのバンビみたいに立ち上がるにも時間かかったし、「溺れたわ…」と言いたかった言葉をいうのにも時間かかった。

 

 

重岡大毅のダイキッスのせいで!!!!!!

重岡大毅の切ない笑顔のせいで!!!!!!

重岡大毅の大友勝利のせいで!!!!!!!

足腰壊れたかとおもったし、内臓にダメージ負ったかと思った!!!!!!!

 

 

 

と、観た直後はこうだったのですが、珈琲飲んで、タバコは吸…えないから濵田君の喫煙シーンを(関係ないのに)想像して、落ち着いて息をしてみたところで(そこまでずっと溺れていたのでエラ呼吸でぎりぎり生きていた)、なぜ主語が全部「重岡大毅」になっとるのだよ、私…というところから

 

 

“大友を演じた重岡君だけがこの映画で溺れていなかったんだ”

というところに今、たどり着きました(いやー、泳いだ泳いだ。明日は全身筋肉痛だぞ!)。

 

 

内容に関しての説明みたいなものは「もうみんな観たよね!」という暴論で割愛しますが、重岡くんがインタビューで

 

『(キスシーンに関して)大友の、夏芽への抑えていた気持ちが出てしまったシーンですね。大友にとってコウちゃんは大きな存在だったし、勝てないというところがあったと思う。けどあのときは「今だったら、俺もいけるかも」みたいなタイミングだったんじゃないですかね。(cinematodayインタビューより引用)』

 

と答えているように、映画を観ていると重岡君が演じた大友はコウちゃんのことを大きな存在と思っているのが節々にわかる。その大きな存在というのが青春の無敵感っかんじの映画でしたね。夏芽もコウちゃんのそこ、好きだっただろうし、まぁ私もあの年齢で、あの田舎で、同じ学校にコウちゃんいたら前日から「バレンタインチョコとかコウちゃんにくだらなすぎる」とか思いながら一応はだせーチョコをコンビニで買っちゃって、当日はカバンに入れっぱなしで帰り道に当たり前に自分で食べるわ。神さんはあの缶ジュースは飲むけれど、クラスメイトのチョコなんて食べないから。

 

 

 

そんなコウちゃんと同じ女の子に恋する重岡くん演じる大友。当て馬キャラとか書いているテキストもありましたが、彼の自意識はコウちゃんとの比較で傷ついてなんか全然いないし、むしろ、下品な発言には「下品だ」というし、夏芽を心配してイツメンとの飯をキャンセルして弁当片手に夏芽のところに行けっている。大友の自分の意思で自分を動かす力すごい。

 

でも、家のお手伝いで夏芽の家に寄るような大友は、「世界は自分のためだけにまわっていないこと」という概念を身にまとっている。これは大友が、コウちゃんや夏芽と大きく違うところであり、だからこそ大友がこの恋愛に割って入る意味がある肝であり、私が一番この作品で胸をうたれたところでもありました。

 

 

重岡君が『夏芽への抑えていた気持ちが出てしまったシーン』とインタビューで語ったキスシーンも、夏芽を笑わせて笑っているのを確認しながらじりじり近づく(ジャス民の命、かなりここで失われたと思われる)、キスも自分の気持ちを押し付けないすぎない秒数(ジャス民の命、ここで~以下同~)、そしてまた笑っているか確認する(ジャス民の命、もう~以下同~)。

 

自分の好きだけで世界はまわっていないと知っている人の、相手を見つめた極みのキスシーン!!!!!(見渡す限りの屍)

 

 

 

 

そして重岡君の以下のインタビュー2つを読み合わせて気づいたのはこの世界は自分のためだけにまわっていないという感覚を「重岡大毅は気づいているけれど大友は完全には自覚していない」という概念で演じていたことです。

 

『大友は夏芽を励ましたいと思っているけれど、夏芽にはよく見られたい。彼女にとって特別な存在でいたい。好きになってほしい。振り向いてほしいという気持ちもある。男としても大友の気持ちはわかる。だけど、そこをぐっと抑えて、大友のセリフを言わなくてはならないので大変でした。』(cinematodayインタビューより引用)

 

『俺自身も、“この台詞、わかんねん! やりたいこともわかんねん!”って思うけど、そういう言葉が言えるって、男としてはすごいことなんです。そのすごさに、大友は気づいてない。だから俺、大友は実は恐ろしい男やと思ってます(笑)。』(oriconインタビューより引用)

 

 

実は、私は長年、大友という人物はもっと自覚的にそのポジションをしているのかなと思って原作を読んでいたので、

 

 

 

重岡君の解釈は大友を計算のないピュアネスな存在に、男子ならではの視点で押し上げてくれるものでした。

 

 

 

 

で。で、ですね。この世界をまわしているのが誰かに関わる自覚と無自覚について、こんなに思いを馳せることができることこそが「重岡大毅」が大友を演じたことの意味であり、観た直後に全部主語が「重岡大毅」になった要因であり、重岡君だけが溺れていなかった理由だと思うのです。

さあて、こっからいきなり論ぶっこむぞー(腕をぶんぶん振り回しながら)!!!!

 

 

 

突然ですが、アイドルというお仕事、(想像しているだけですが)溺れる罠いっぱいのお仕事だと思います。

 

☑業界のきらびやかさ(あくまで想像だけど)。

☑手に入れる金銭感覚の違い(あくまで1600万円の時計からの想像だけど)。

☑外野からの勝手な賞賛、批判、愛でられ行為、性的想像の的へのくくりつけ(これはよく見てます、よくしてます。ちなみに、外野から自由に扱われることこそがアイドルであるとは思っていますが、その話はまた別の機会に)。

☑自分で選ぶことのできない仕事、時間、運命。

 

 

 

あーーーーーー波高えーーーー!

アイドルってプロサーファーかよ!!!!

昨日うまく寝れなくて朝起きるのツライとか言ってる自分なんて波打ち際でちゃぷちゃぷらんらんらんじゃーん!!!

 

 

そんなアイドルとして生きる重岡君。

彼のパイナップルをはじめとしたダサ…いや素朴なTシャツ私服は、きらびやかな芸能界&富と重岡君の距離の象徴。

彼のやたらな健康配慮は、他者からさらされることに対する精神の健康を含めたセルフコントロールの象徴。

そう思いながら、私たち安心していませんか?

 

 

「応援するに値する人物であること」への安心を。

「応援した分、なにか返してくるかもしれない人物であること」への安心を。

 

 

で、重岡君はコンサートでこうです。

 

 

 

安心だ!!

健やかだ!!

 

 

重岡君のアイドルとしての振るまい方って、こうやってコンサートでしっかりファンにメッセージを伝えてくれたり、ラジオでちゃんとはがきにお礼をいってくれたり、会場ぶんぶん走り回ってくれたり…。メンバーに対しては、特に淳太くんに対してはちょけているけれど、対ファンとなったときには非常に丁寧ではないでしょうか?

 

我々が笑っているのを確認してくれる、そして自分の気持ちを押し付けすぎない感じで愛をふりまいてくれる、そしてまた我々が笑っているか確認する…………。

ねぇ…気づいた?? ……わたしたち、夏芽じゃん!!!!

 

 

で、これ。重岡君のインタビューでの言葉、再び。

『(アイドルである自分について)今は音楽がかかれば、笑えるんです。スポーツ選手で言うところのゾーンに入る、みたいな。うまく説明できないけれど、自分の中に、アイドルっぽいキラキラを出すスイッチみたいなのはあります(笑)。』(oriconインタビューより引用)

 

そう、重岡君はそれをすべて気づいてやっている!!!!ぎゃん!!!

 

 

大友を観て、ほぼ全員のジャス民が重岡大毅自身と結びつかせずに観ることが不可能だった理由、そして、わたしの主語も「重岡大毅」になっていた理由は、大友というキャラクターの持つ物語での役割(=自分がいる世界には他者が必ずいるという意識の所有)をいつも意識的にしているのが、私たちの追いかけているジャニーズWESTの重岡大毅だったからだ!!!!

ぜんぶ、重岡大毅のものなんだ!!!(夏芽気取り)

とわたしは思うのです。

 

アイドルという極論ファンとの相互作用によって生まれる仕事についている彼の「世界は自分のためだけにまわっていない」ことへの実感。ジャニーズWESTになるために大人の事情をかいくぐった彼の「世界は自分のためだけにまわっていない」ことへの実感。大友が無自覚でしていたものを、重岡君は何度も何度も体験して、身をもって感じてきたのではないかと思うのです。自覚するということがどんなことかを知っている。だからこそ、重岡君は大友が無自覚だということに、その振る舞いから、その言葉から鋭敏に気づいたのかもしれない。

 

 

青春真っ盛りの、夏芽もコウちゃんも自分の好きだけで世界がまわっていると思っている。

そして、映画を観て私は、完璧な構図を求める撮影の仕方、セリフの度重なる変更エピソードも含め、山戸監督もどちらかというと自分の好きで世界をまわそうとしている人、自分の世界に人を巻き込むことで感情を動かそうとする人に感じました。

 

自分が何者であるか判断をあまりくだされていない若者と、自我で世界を切り開く芸術家はそうであるべき人間だと思うし、若さや芸術とはそうであるべきだと思う。

 

けれど、若くもなく、芸術家でもない私は最後のコウと夏芽のバイクのシーン、そこに付随する世界を自分が回している感…無自覚で、未経験で、まぁだからこそそう思える自信の光には全然憧れなかった。それは私が無自覚で、未経験のまま、むやみやたらに笑っていることがだんだん許されない普通の大人の世界にいるからで、まぁ単なる年寄感覚だからかもしれないですが、2人のバイク降りたあとの長い人生を思って心配にすらなった。でも、ゆえに、目に、そして心に痛い恋愛のストーリーの中でくしくも最後にそんな大友が物語の蚊帳の外にはじき出されたのは救いだった。

 

“無自覚に”、“未経験に”、“むやみやたらに”を武器に夢を見ることができなくなった大人の私に、現実にきちんと根づいた夢を見させてくれる、それが大友であり、大友を実写で形作った重岡大毅であり、重岡大毅が所属するジャニーズWESTだと「溺れるナイフ」で私は強く強く再認識したのです。

 

 

人よりきっとはやい時期にに自分の好きだけで世界がまわっていないと気づいた重岡君。

コウちゃんのような夏芽のような、とにかく閃光力のある青春は過ごしていなかったのかもしれない。若いときからいつも人が回してくれる世界を意識しなくてはいけなかったから。

 

それが幸か不幸かなんて、とってもおこがましい問いだけど、もし私たちが少しでも彼の夏芽なら小声で「それは、俺ら次第や」とつぶやいてもいいのかもしれない。

ぴーかんぴーかんにほんばれ。